エピソード

  • 【仏教と音楽】 伝統と現代をつなぐ旋律
    2025/06/25

    🔶 宗教と音楽の深い縁

    丸井:「高千穂さん、今週はどんなお話でしょうか?」

    高千穂さん:「今週は『仏教と音楽』というテーマでお話しします」

    宗教と音楽は、古くから切り離せない深い関わりがあります。

    キリスト教では賛美歌やミサ曲、クラシック音楽もその多くが教会音楽に起源を持っています。

    丸井:「仏教でも音楽って重要なんですか?」

    高千穂さん:「そうですね。たとえば雅楽(ががく)が挙げられます。神社のイメージが強いかもしれませんが、仏教でも大切にされてきました。さらに称名(しょうみょう)、つまりお経や念仏も、節やリズムがあり、音楽的な要素を含んでいるんです」


    🔶 正信偈の多彩な節

    浄土真宗で大切にされている「正信偈(しょうしんげ)」にも、節が存在します。

    高千穂さんによると、現在は「送付(そうふ)」「行譜(ぎょうふ)」「真譜(しんぷ)」の三種類の節がありますが、昔は十種類以上の節が存在し、地域によって歌い方が異なったそうです。


    高千穂さん:「全国が今のように繋がっていなかった時代、各地で独自の節が生まれたんですね」


    🔶 親鸞聖人の「和讃(わさん)」と民衆への伝わり方

    親鸞聖人は、教えを広く民衆に伝えるため、当時の流行歌であった「今様(いまよう)」の旋律に乗せ、かな交じりの柔らかな言葉で「和讃」を作りました。


    高千穂さん:「『教行信証』のような漢文の書物は、当時の庶民には難しかった。だからこそ和讃が作られたんです」


    🔶 明治以降の仏教と洋楽の融合

    明治維新で西洋文化が日本に入り、仏教界でも西洋音楽の要素を取り入れた「仏教唱歌」が生まれました。

    これにより、伝統を守りながらも時代に合わせた新たな表現が模索されてきました。

    丸井:「伝統と新しいもののバランス、難しいですね」

    高千穂さん:「そうなんです。伝統だけだと古びてしまう。でも、新しいものばかりだと本来の形が崩れる。だからこそ、法要や儀式では伝統的な節、みんなで集まる場面では新しい歌、それぞれ役割を分けて大切にしてきたんです」


    🔶 音楽が問いかける“変わるもの・変わらぬもの”

    丸井:「言葉も音楽も、時代とともに変わっていく。でも全部が変わったら大切なものが失われてしまう。その加減って難しいですね」


    高千穂さん:「まさにその通りです。音楽一つとっても、私たちの暮らしや価値観と深く関わっています。伝統を守りつつ、新しいものも取り入れる――その姿勢が仏教にも求められているのだと思います」


    🔶 まとめ:音楽に学ぶ仏教の柔軟さ

    今週は「仏教と音楽」というテーマでお届けしました。


    高千穂さん:「仏教の音楽は、称名や雅楽など古くからのものもあれば、明治以降の仏教唱歌のように新しい風も取り入れてきました。

    伝統と革新のバランス、その難しさと大切さを改めて感じていただければと思います」


    🔶 次回予告:「嘘も方便」について

    来週は「嘘も方便」というテーマでお話しします。

    仏教的に“嘘”はどんな意味を持つのか?興味深いお話をお届けします。どうぞお楽しみに。


    🔶 あなたのお悩み、聞かせてください

    この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。

    メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。


    出演
    お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)
    司会:丸井純子


    今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。
    あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

    では、また来週お会いしましょう。

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  • 【英語と法話】言葉の壁を越えて伝えるには
    2025/06/18
    🔶 英語で法話仏教を言葉の壁を越えて伝えるにはこんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 仏教の教えを英語で伝える難しさ丸井:「高千穂さん、今週はどんなお話でしょうか?」高千穂さん:「今週は“英語で法話”というテーマで、浄土真宗の教えを英語に翻訳することの難しさについてお話します」日本に根付いた仏教の言葉や文化を英語に訳すのはとても難しいことです。なぜなら、その背景にある文化や感性が異なるからです。🔶 芭蕉の俳句を訳すと…?たとえば、松尾芭蕉の有名な句「古池や かわず飛びこむ 水の音」。これをラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、"The old pond — a frog jumps in — the sound of water"と訳しました。丸井:「英語だと、なんだか大きなウシガエルがドボンと飛び込んだような印象ですね」高千穂さん:「そうなんですよ。日本語では静かで風情があるけど、英語にすると印象が変わるんですよね」🔶 浄土真宗のキーワードも苦労の連続仏教用語を英語にする際も同じ苦労があります。たとえば「信心(しんじん)」は英語で「Faith(フェイス)」と訳されることが多いです。また「浄土」は「Pure Land(ピュアランド)」とされます。高千穂さん:「でも、この“Faith”や“Pure Land”という言葉では、日本語が持つニュアンスや奥深さをすべて表すのは難しいんですよね」🔶 アメリカで広がる「ゴールデンチェーン」そんな中、アメリカの仏教界で大切にされている一つの歌があります。それが「ゴールデンチェーン(Golden Chain)」です。これは1920年、ハワイの女性僧侶ドロシー・ハンドさんが作詞したもので、日曜学校などで今も歌い継がれています。🔶 日本語訳されたゴールデンチェーン高千穂さん:「英語では少し難しいので、日本語に訳されたものをご紹介します」私は世界に広がる阿弥陀仏の金の鎖の一つで、明るく強く輝き続けます。私は生きとし生けるものすべてに対して思いやり深く、弱いものを守ります。私は阿弥陀仏からいただいた美しい心を大切にし、美しい言葉を語り、美しい行いをします。金の鎖の一つ一つが輝き続け、世界のすべての人が大いなる安らぎに満たされますように。英語では「Golden Chain of Love(愛の金の鎖)」と表現されており、キリスト教文化の影響も感じられます。丸井:「仏教ではあまり“Love”という言葉は使わないですよね」高千穂さん:「そうですね。本来は“慈悲”を表しているんですが、英語では“Love”という言葉で伝えるんです」🔶 文化の違いを超えて伝わる“心”言葉の壁はあるものの、人が宗教を求める心はどこでも同じです。アメリカでは、日系人だけでなく、まったく仏教と縁のなかった人たちが仏教に触れ、その教えに感動し、信仰を深めています。🔶 翻訳しない、という方法もある高千穂さん:「あるアメリカの先生が“信心(しんじん)はそのままShinjinでいい”と言われていました」たとえば“豆腐”といった言葉が、そのまま“tofu”として定着しているように、“Shinjin”という言葉も、そのまま浸透させていくのも一つの方法です。🔶 まとめ:言葉は違っても“心”は伝わる今週は「英語で法話」をテーマに、仏教を世界に伝えることの難しさと面白さをお届けしました。高千穂さん:「アメリカでは“ゴールデンチェーン”という歌が浄土真宗の教えを伝える手段として根付いています。文化や言葉は違っても、仏教の教えが世界中で受け入れられているという事実は、私たちにとっても喜びです」🔶 次回予告:「仏教と音楽」について来週は「仏教と音楽」をテーマに、心に響くお話をお届けします。🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結...
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  • 【仏教と雨】 梅雨の季節に心を見つめなおす
    2025/06/11

    熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。


    🔶 お坊さんの足元にも「雨対策」あり

    丸井:「雨の日でも、お寺のお仕事ってあるんですね」

    高千穂さん:「もちろんあります。実は私たちが履いている草履には、雨の日用のビニールカバーを装着するんですよ」

    草履の下には足袋を履いていますが、雨水が染み込むと泥だらけになってしまいます。

    そのため、足元を守るための“雨具”もしっかり用意されているんです。


    🔶 インド仏教における雨季(うき)と安居(あんご)

    仏教が生まれたインドにも「乾季(かんき)」と「雨季(うき)」があります。

    インドの雨季は非常に激しく、なんと3か月以上雨が降り続くこともあります。

    この期間、仏教教団では「安居(あんご)」と呼ばれる学びの時間が設けられていました。

    これは、修行僧たちが移動することで小さな命を踏んでしまうのを避けるため、一か所にとどまり、学問や修行に励むというものです。


    🔶 日本にも伝わる安居の精神

    この「安居」の伝統は、日本にも伝えられました。

    浄土真宗本願寺派では、毎年7月下旬ごろに「安居」と呼ばれる最高峰の勉強会が京都で開かれます。


    高千穂さん:「私もかつてお手伝いで参加したことがありますが、全国から集まった精鋭の僧侶たちが真剣に学び合う様子は圧巻でした」

    九州からの参加は大変ではありますが、学びへの熱意は地域を越えてつながっています。


    🔶 源信(げんしん)和尚の教えに学ぶ

    今回は、親鸞聖人が心の師と仰いだ七高僧のひとり、源信和尚(げんしんかしょう)が著した『往生要集(おうじょうようしゅう)』のお言葉を平易にご紹介します。


    高い山には雨水はとどまらず、必ず低いところに流れていく。
    これと同じように、人もおごり高ぶれば仏の教えは心に入らない。
    反対に、謙虚な心で師の教えを敬えば、その功徳は自らに流れ込むのだと。


    🔶 仏教的に見る“高い山”と“謙虚な谷”

    高千穂さん:「これはまさに“自力の思い上がり”を戒めたお言葉です」

    努力や修行に偏るあまり、自分こそが正しいという思いにとらわれてしまうと、

    阿弥陀様のはたらき=他力の救いを素直に受け入れることができなくなってしまう。

    それが仏教の世界でいう「自力の限界」なのです。


    🔶 まとめ:梅雨の季節は、学びのチャンス

    今週は「仏教と雨」をテーマにお届けしました。


    高千穂さん:「仏教が生まれたインドには3か月以上続く雨季があり、その間、修行僧たちは一か所にとどまり学びを深めていました。この教えは日本にも伝わり、今も“安居”という形で大切にされています」

    そして、原信和尚の言葉にあるように、謙虚な心で教えを受け止めることの大切さ――

    雨の時期だからこそ、自分の内面と静かに向き合う機会にしたいものですね。


    🔶 次回予告:「英語で法話」について

    次回は「英語で法話」というちょっと変わったテーマでお届けします。

    仏教の教えを、もし英語で伝えるなら?という興味深いお話です。どうぞお楽しみに。


    🔶 あなたのお悩み、聞かせてください

    この番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。

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    🔶出演
    お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)
    司会:丸井純子


    今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。

    あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。

    では、また来週お会いしましょう。

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  • 【仏教と蓮の花】のお話し ―仏嚴寺・高千穂光正さんと語る仏教のお話―
    2025/06/04
    蓮の花に宿る仏の教え―仏嚴寺・高千穂光正さんと語る仏教のお話―🔶今週のテーマは「仏教と蓮の花」熊本市中央区京町にある仏嚴寺(ぶごんじ)のご住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんと、丸井純子(まるい じゅんこ)さんが語り合います。蓮の花が象徴する「清らかさ」蓮の花――仏教では「れんげ」とも呼ばれ、お釈迦様が悟りを開いたときにもその足元に咲いていたと伝えられる、美しい花です。浄土真宗の仏様である阿弥陀様も、蓮の花の上に立っておられる姿で表されます。では、なぜ蓮の花がこれほど大切にされてきたのでしょうか。それは、蓮が「泥の中から咲く花」だからです。この泥は、煩悩に満ちた私たちの生きる世界を表します。そんな世界に染まることなく、清らかに咲く蓮の姿は、仏教の理想そのもの。「どんなに汚れた世界の中でも、美しい花を咲かせられる――」そんな希望と慈悲の象徴として、仏教では蓮が尊ばれてきたのです。🔶阿弥陀様は「立って」おられる理由仏様といえば、座っている姿を想像する方が多いかもしれません。けれど、浄土真宗の阿弥陀様は「立って」おられます。それは、「救いに行くために座っている暇などない」という姿勢の現れ。さらにお顔は、やや斜め前に傾けておられます。「今すぐあなたのもとへ向かいますよ」という、まさに“やる気満々”の姿なのです。🔶浄土の世界と「白蓮華(びゃくれんげ)」仏教発祥の地・インドでは、蓮は国家の花。仏教と深く結びついた特別な花とされています。浄土真宗の教えの中でも、「正信偈(しょうしんげ)」には極楽浄土を「蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)」と表現し、蓮が咲き誇る美しい世界として描かれています。また、念仏を唱える人は「白い蓮の花」のようだとも語られます。心清らかに阿弥陀様を信じ、念仏に生きる人々を称えて、そう呼ばれるのです。🔶念仏に生きた人々――妙好人(みょうこうにん)そのような念仏者たちは「妙好人」と呼ばれます。親鸞聖人の教えに目覚め、阿弥陀様の慈悲を喜び、感謝とともに生きた人々――それが妙好人です。今回はその中から、妙好人・浅原才市(あさはら さいち)さんをご紹介します。浅原才市さん――「念仏の日暮らし」浅原才市さんは、1850年・江戸末期に島根県温泉津(ゆのつ)で生まれました。もとは下駄職人でしたが、福岡の七里(しちり)先生という高僧と出会い、念仏の道へ。以来、20年以上も七里先生の話に耳を傾け、お念仏の喜びを歌にして人々へ伝えました。昼も夜も、寝ても覚めても「南無阿弥陀仏」。まさに「念仏の日暮らし」と呼ぶにふさわしい生き方です。歌に込めた信仰の喜びたとえば、次のような歌があります:寝るも仏 起きるも仏 覚めるも仏冷めて敬う 南無阿弥陀仏胸に六字の声がする親の呼び声 慈悲の催促 南無阿弥陀仏ここでいう「親」とは阿弥陀様。念仏を唱える私の声も、阿弥陀様の導きによって出てくるものだ――そんな深い気づきを表しています。🔶「自分は鬼」――角を描かせた肖像画ある日、画家が才市さんの肖像画を描いたときのこと。できあがった絵を見た才市さんは「これはわしじゃない。角を描いてくれ」と言いました。「わしは鬼だ。怒り、妬み――そんな心を持っている」と。頭に2本の角を描かせて完成した肖像画を見て、「これが本当のわしだ」と喜んだそうです。才市さんは、自らの煩悩に気づき、それを抱えながらもなお、阿弥陀様の慈悲に感謝して生きていたのです。🔶まとめ今週は仏教と蓮の花についてのお話でした。蓮の花は、泥の中から清らかに咲くその姿が、私たちの生き方の理想を表しています。念仏を喜び、感謝して生きた先人――妙好人たち。浅原才市さんのような念仏者の存在は、現代に生きる私たちにも、温かい光を届けてくれます。🔶次回のテーマは「仏教と雨のお話」。番組では、あなたのお悩み相談も受け付けています。メールは goen@rkk.jp までお寄せください。お話は仏嚴寺の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。聞き手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。ご縁に感謝して、...
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  • 【共命鳥(ぐみょうちょう)の教え】 二つの頭と一つの命が語ること
    2025/05/28
    🔶 共命鳥とは?阿弥陀経に登場する不思議な鳥今週のテーマは「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」です。高千穂さん:「共命鳥は、『仏説阿弥陀経』に登場する極楽浄土に住む美しい鳥のひとつです」“共命”とは「命をともにする」という意味。この鳥は体は一つ、頭が二つ。それぞれ別の意識を持ちながら、一つの命を生きる不思議な存在です。仏教では、この鳥を通じて人間の「煩悩(ぼんのう)」や「自己中心的な心」のはかなさを説いています。🔶 提婆達多(だいばだった)と共命鳥の物語ある日、弟子が釈尊(お釈迦さま)にこう尋ねます。「仏法を聞いていたはずの提婆達多は、なぜ釈尊に深い恨みを抱いたのですか」この問いに対し、お釈迦さまは共命鳥のたとえ話をもって答えられました。🔶 二つの頭と一つの命:破滅へ向かう心昔、雪山のふもとに共命鳥が住んでいました。一つの体に、カルダとウバカルダという二つの頭がついており、それぞれに独立した意識を持っていました。ある日、カルダがウバカルダに黙って「摩頭迦という果樹の実」を食べてしまいます。これは非常に良い香りと功徳を持つ果実だったため、ウバカルダはひどく怒りました。そしてあるとき、ウバカルダは毒の花を見つけます。「この毒を食べれば、カルダを苦しめることができる」と考え、眠っているカルダに黙って自ら毒の花を食べてしまいました。その結果――共命鳥は、体ごと死んでしまったのです🔶 お釈迦さまが語った深い意味死の間際、カルダはウバカルダにこう語ります。「私は良かれと思って花を食べた。だが、あなたは怒りにかられて毒を口にした。その結果、私たちはともに命を落とした。怒りや憎しみに利はなく、それは自らを、そして他者をも破滅させる」お釈迦さまはこう締めくくられました。「カルダは私・釈尊でありウバカルダは提婆達多である」🔶 共命鳥が教えてくれること高千穂さん:「共命鳥は、“自他は分けられるものではない”という教えを体現した存在です」現代に置き換えるなら――家庭や職場で、良かれと思ってしたことが誤解される自分の不満が、誰かへの攻撃になり、結局自分にも返ってくる私たちの中にも、“ウバカルダ”のような怒りや嫉妬の心が生まれることがあります。丸井:「他人を責めたつもりが、自分自身をも傷つけていた――思い当たるふしがあります」🔶 まとめ:一つの命をどう生きるか今週は「共命鳥(ぐみょうちょう)の教え」をテーマにお届けしました。高千穂さん:「共命鳥の物語は、他者と命をともにするという在り方を、優しく、そして厳しく伝えてくれています。自己中心的な怒りや執着が、やがて自分自身をも苦しめるということ。仏教が説く“縁起”や“慈悲”の心を、物語を通じて学ぶことができます」人との関係に悩んだとき、心の中の“ウバカルダ”と向き合うヒントになるかもしれません。🔶 次回予告:「仏教と蓮の花」次回は「仏教と蓮の花」をテーマにお届けします。泥の中から美しく咲く蓮の花は、なぜ仏教で大切にされているのか――その象徴的な意味に迫ります。🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。
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  • 【親鸞聖人の誕生日・降誕会】のお話。 親鸞聖人は結婚もし魚も食べ90歳まで生きた。
    2025/05/21
    🔶 今日は親鸞聖人のお誕生日高千穂さん:「本日5月21日は、親鸞聖人のお誕生日“降誕会(ごうたんえ)”です。旧暦でいうと4月1日、この日に親鸞聖人がお生まれになりました」親鸞聖人は1173年、平安時代の末期に京都でお生まれになりました。当時の日本は源平の争い、天災や疫病、大火や飢饉などが相次ぐ混乱の時代でした。🔶 9歳で出家、比叡山での修行の日々親鸞聖人は9歳で天台宗の僧・慈円(じえん)のもとで出家され、比叡山延暦寺に入山。その後20年にわたり、厳しい修行と学問に励まれます。高千穂さん:「比叡山は寒く、自然環境も厳しい場所です。そんな中で“今生きているまま仏となる”道を求め続けたのです」しかし、どれだけ修行しても煩悩を断ち切ることができない――そのことに悩まされ続けたといいます。🔶 六角堂の籠もりと夢のお告げ29歳のとき、修行に限界を感じた親鸞聖人は比叡山を下り、京都・六角堂で100日間の籠もりに入ります。その95日目の夜、夢に救世観音(くぜかんのん)が現れ、法然上人のもとへ行くようにと告げたと伝えられています。高千穂さん:「夢のお告げに導かれ、親鸞聖人は法然上人のもとへ通い、門弟となられました」この出会いこそが、のちの親鸞聖人の教えの出発点となったのです。🔶 流罪と“非僧非俗”の道しかし、その後ある事件が起こります。後鳥羽上皇の女官が無断で出家したことで、法然門下の念仏集団が弾圧されます。親鸞聖人は越後(現在の新潟)へ流罪となり、僧籍も剥奪されます。高千穂さん:「そのときから親鸞聖人は自らを“非僧非俗(ひそうひぞく)”と称されます。僧でも俗人でもない、ただ念仏を称える者として生きられたのです」流罪の地・越後では、結婚され、魚などを食べる「肉食妻帯」の生活もされながら、民衆と共に念仏の教えを広めていきました。🔶 関東へ、そして晩年の京都へ越後から関東へ、そして再び京都へ戻られた親鸞聖人。90年という当時では考えられないほど長い生涯を、念仏を伝え続けることに捧げられました。🔶 ロマンあふれる“発見”と親鸞聖人の実在意外なことに、大正時代までは親鸞聖人は架空の人物だと思われていたそうです。それが一変したのが、大正10年に西本願寺で発見された“真偽消息(しんにしょうそく)”という手紙でした。この手紙は、親鸞聖人の妻・恵信尼(えしんに)から娘へ宛てたもので、親鸞聖人の実像が詳細に記されていました。この発見により、親鸞聖人が実在した人物であることが初めて広く知られるようになったのです。🔶 まとめ:親鸞聖人が私たちに残したもの今週は「親鸞聖人のご誕生と生涯」についてお話を伺いました。高千穂さん:「親鸞聖人は90年の生涯を通じて、念仏の教えを実践し広め続けられました。流罪や弾圧という苦難の中でも、“すべては阿弥陀仏のおはたらき”と受け止め、生き抜かれた姿があります。私たちが今、念仏に出会い、救いを感じられるのも、親鸞聖人のご生涯があったからこそなんです」🔶 次回予告:「愚禿鈔(ぐとくしょう)」とは?来週は、親鸞聖人が遺されたお言葉の中から「愚禿鈔(ぐとくしょう)」をテーマにお届けします。“愚かなる禿(かぶろ)”と自らを名乗った親鸞聖人の真意に迫ります。お楽しみに!🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう
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  • 【御朱印】のお話。 浄土真宗のお寺には御朱印が無い!?
    2025/05/14
    🔶 御朱印と浄土真宗:なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 御朱印ブームの現在最近、御朱印を集めるのが流行っています。テレビで芸能人が紹介したり、文房具店にはおしゃれな御朱印帳が並んでいたりして、目を引きますよね。しかし、意外に知られていないのが、浄土真宗のお寺には御朱印がないという事実。今回は、その理由と御朱印の歴史についてお話しします。🔶 御朱印のルーツとは?御朱印のはじまりは、お経を写してお寺に納めた証として印をいただくことにあります。特に「法華経」を納める際の受領印がその起源とされています。高千穂さん:「中世には“六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶかいこくひじり)”という人々が全国を巡って法華経を納めていました。その活動の証が御朱印だったんです」🔶 江戸時代の御朱印文化江戸時代には「御朱印帳」という冊子の形が普及し、参拝の証として御朱印を集める文化が広まりました。この背景には、当時の移動制限も関係していたといいます。高千穂さん:「江戸時代の人は簡単に他の藩に移動できなかったんです。でも“信仰のため”なら関所を通ることが許されていたので、神社仏閣への参拝は立派な旅行の理由になったんです」その参拝記録として御朱印帳は重宝されたのです。🔶 明治維新と御朱印の変化明治時代になると大きな社会変革が訪れます。「神仏分離令」によって神社とお寺は明確に分けられ、御朱印文化にも変化が生まれました。また、庶民が自由に移動できるようになり、信仰目的でなくても旅行が可能に。その結果、御朱印は「参拝記念」の性格が強くなっていきます。🔶 スタンプから御朱印ブームへ昭和初期になると「スタンプラリー」的な文化が浸透し、御朱印もまた「記念スタンプ」のように親しまれるようになります。高千穂さん:「近年の御朱印ブームも、平成後期から現在にかけて徐々に広まりました。特別なきっかけがあったというより、SNSなどで紹介される中で自然と人気が出てきた印象です」🔶 では、なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?仏教の多くの宗派では、写経や参拝を通じて“功徳”を積むことを重視します。御朱印は、その功徳の証として存在するものでした。高千穂さん:「しかし、浄土真宗は“自力で功徳を積む”教えではないんです。阿弥陀如来の救いの力にすべてをお任せし、念仏を申して生きる教えです」そのため、写経や御朱印という修行的な行為を行わないのが真宗の特徴でもあります。🔶 参拝記念スタンプはありますとはいえ、築地本願寺や西本願寺などでは“参拝記念スタンプ”を用意しているお寺もあります。高千穂さん:「御朱印ではありませんが、お参りの思い出として記念スタンプを押してもらうのは歓迎されています。気軽に受け取れるので、ぜひ旅の記念にどうぞ」🔶 まとめ:御朱印に込められた意味を知る今週は「御朱印と浄土真宗」についてお話を伺いました。高千穂さん:「御朱印はもともと写経を納めることで功徳を積む証として始まりました。それがやがて時代の変化とともに“参拝記念”の役割に変わり、文化として定着しました」しかし、浄土真宗の教えでは“阿弥陀仏のはたらき”によって救われるとされ、自力修行による功徳の蓄積を必要としません。高千穂さん:「だからこそ、真宗には御朱印がないんです。でも、参拝の喜びを形に残す“記念スタンプ”というかたちで、仏縁にふれることはできますよ」* 例外的対応ただし、近年では観光客への対応や文化的な側面として、一部の浄土真宗寺院で限定的に御朱印を授与しているところもあります。たとえば、「参拝記念」として日付入りの印を押すスタイルで、他宗派のような「納経」や「修行の証」としてではなく、あくまで記念印的な扱いで行われています。🔶 次回予告:「親鸞聖人の誕生日・降誕会」次回は、親鸞聖人の誕生日を祝う...
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  • 【仏教と子ども】のお話。 お寺は子どもたちの学びの場
    2025/05/07
    🌟今回は「仏教と子ども」のお話。 お寺は子どもたちの学びの場だった🔶 仏教と子ども:お寺は学びと育ちの場こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ こうしょう)さんと一緒に、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 お寺は高齢者だけの場じゃない?高千穂さん:「“お寺=法事やお葬式の場所”というイメージを持たれる方も多いと思いますが、実は昔から子どもたちのための行事や学びの場でもあったんです」その代表が「日曜学校」と呼ばれる活動。これは仏教の教えを子どもたちに伝えるための取り組みで、実はキリスト教の“サンデースクール”と似た側面もあるのだとか。🔶 お寺の教育といえば“寺子屋”教育とお寺の関係といえば「寺子屋」を思い浮かべる方も多いでしょう。高千穂さん:「寺子屋は、平安時代に始まったお寺での教育がルーツとされ、江戸時代には読み書きそろばんなどを教える庶民の教育の場でした。武士の子どもは武家屋敷で、庶民の子どもはお寺で――そんな時代背景があったんです」このように、お寺はかつて“地域の学び舎”でもあったのです。🔶 仏教版サンデースクール「日曜学校」そして、もう一つの大きな柱が「日曜学校(少年教化)」です。高千穂さん:「その起源は、明治13年(1880年)、福岡・博多の萬行寺にて七里恒順先生が始めた活動にさかのぼります」少年少女に向けて、親鸞聖人や阿弥陀様の教えを伝えるこの活動は、やがて全国の寺院へと広がっていきました。🔶 日曜学校の中身って?一般的な日曜学校では、まずお経をみんなでお勤めし、その後は紙芝居や影絵、レクリエーション、ゲームなどを楽しみます。高千穂さん:「最後にみんなで歌を歌って終了、というのが定番の流れです。地域によっては昔話を語るお年寄りを招いてお話会をしたり、民話を通じて熊本の歴史を伝える場にもなっていました」今では少子高齢化やコロナ禍の影響で開催が難しいお寺も増えていますが、お寺を楽しい思い出の場所にするための取り組みとして大切にされてきたのです。🔶 「児童念仏奉仕団」という夏の体験夏休みや春休みに行われるのが「児童念仏奉仕団」という特別な活動です。高千穂さん:「熊本の子どもたちが集まって京都・西本願寺へ行くんです。念仏を称え、奉仕活動を行い、仏教に親しむだけでなく、水族館やユニバーサル・スタジオ・ジャパンといったお楽しみもあります」宗教行事と修学旅行、そして仲間との交流が一体となったこの経験は、参加した子どもたちの心に深く残ることでしょう。🔶 子どもたちと、もう一度お寺で丸井:「仏嚴寺さんでも昔は子ども会をしていたんですよね?」高千穂さん:「はい、少子化の影響で今はお休みしていますが、もし“やってほしい”という声があればぜひ再開したいと考えているところです」地域に子どもたちが集う場所が減っている今だからこそ、お寺のあたたかさと仏教のやさしさを届けたい――そんな思いが伝わってきました。🔶 まとめ:子どもたちの心に仏の種をまく場所今週は「仏教と子ども」をテーマにお話を伺いました。高千穂さん:「お寺は昔から子どもたちの成長に寄り添ってきました。日曜学校や児童念仏奉仕団などを通して、命の大切さや感謝の心を育てる場でもあったんです。うちのお寺でも、またそんな活動ができる日を楽しみにしています」🔶 次回予告:「浄土真宗には御朱印がない?」次回は「浄土真宗には御朱印がない?」という、ちょっと意外なお話をお届けします。どうぞお楽しみに!🔶 あなたのお悩み、聞かせてくださいこの番組では、リスナーの皆さまからのお悩み相談も受け付けています。メールは → goen@rkk.jp までお寄せください。出演お話:仏嚴寺住職・高千穂光正(たかちほ こうしょう)司会:丸井純子今週も最後までお聴きいただき、ありがとうございました。あなたと結ばれたこのご縁に、心より感謝申し上げます。では、また来週お会いしましょう。
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