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【御朱印】のお話。 浄土真宗のお寺には御朱印が無い!?

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🔶 御朱印と浄土真宗:なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?こんにちは、丸井純子(まるい じゅんこ)です。熊本市中央区京町の仏嚴寺(ぶつごんじ)より、今週も高千穂光正(たかちほ みつまさ)さんとともに、仏教にまつわるお話をお届けします。🔶 御朱印ブームの現在最近、御朱印を集めるのが流行っています。テレビで芸能人が紹介したり、文房具店にはおしゃれな御朱印帳が並んでいたりして、目を引きますよね。しかし、意外に知られていないのが、浄土真宗のお寺には御朱印がないという事実。今回は、その理由と御朱印の歴史についてお話しします。🔶 御朱印のルーツとは?御朱印のはじまりは、お経を写してお寺に納めた証として印をいただくことにあります。特に「法華経」を納める際の受領印がその起源とされています。高千穂さん:「中世には“六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶかいこくひじり)”という人々が全国を巡って法華経を納めていました。その活動の証が御朱印だったんです」🔶 江戸時代の御朱印文化江戸時代には「御朱印帳」という冊子の形が普及し、参拝の証として御朱印を集める文化が広まりました。この背景には、当時の移動制限も関係していたといいます。高千穂さん:「江戸時代の人は簡単に他の藩に移動できなかったんです。でも“信仰のため”なら関所を通ることが許されていたので、神社仏閣への参拝は立派な旅行の理由になったんです」その参拝記録として御朱印帳は重宝されたのです。🔶 明治維新と御朱印の変化明治時代になると大きな社会変革が訪れます。「神仏分離令」によって神社とお寺は明確に分けられ、御朱印文化にも変化が生まれました。また、庶民が自由に移動できるようになり、信仰目的でなくても旅行が可能に。その結果、御朱印は「参拝記念」の性格が強くなっていきます。🔶 スタンプから御朱印ブームへ昭和初期になると「スタンプラリー」的な文化が浸透し、御朱印もまた「記念スタンプ」のように親しまれるようになります。高千穂さん:「近年の御朱印ブームも、平成後期から現在にかけて徐々に広まりました。特別なきっかけがあったというより、SNSなどで紹介される中で自然と人気が出てきた印象です」🔶 では、なぜ浄土真宗には御朱印がないのか?仏教の多くの宗派では、写経や参拝を通じて“功徳”を積むことを重視します。御朱印は、その功徳の証として存在するものでした。高千穂さん:「しかし、浄土真宗は“自力で功徳を積む”教えではないんです。阿弥陀如来の救いの力にすべてをお任せし、念仏を申して生きる教えです」そのため、写経や御朱印という修行的な行為を行わないのが真宗の特徴でもあります。🔶 参拝記念スタンプはありますとはいえ、築地本願寺や西本願寺などでは“参拝記念スタンプ”を用意しているお寺もあります。高千穂さん:「御朱印ではありませんが、お参りの思い出として記念スタンプを押してもらうのは歓迎されています。気軽に受け取れるので、ぜひ旅の記念にどうぞ」🔶 まとめ:御朱印に込められた意味を知る今週は「御朱印と浄土真宗」についてお話を伺いました。高千穂さん:「御朱印はもともと写経を納めることで功徳を積む証として始まりました。それがやがて時代の変化とともに“参拝記念”の役割に変わり、文化として定着しました」しかし、浄土真宗の教えでは“阿弥陀仏のはたらき”によって救われるとされ、自力修行による功徳の蓄積を必要としません。高千穂さん:「だからこそ、真宗には御朱印がないんです。でも、参拝の喜びを形に残す“記念スタンプ”というかたちで、仏縁にふれることはできますよ」* 例外的対応ただし、近年では観光客への対応や文化的な側面として、一部の浄土真宗寺院で限定的に御朱印を授与しているところもあります。たとえば、「参拝記念」として日付入りの印を押すスタイルで、他宗派のような「納経」や「修行の証」としてではなく、あくまで記念印的な扱いで行われています。🔶 次回予告:「親鸞聖人の誕生日・降誕会」次回は、親鸞聖人の誕生日を祝う降誕会...

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