• #58【通史】世界史④ヨーロッパ世界の形成7:神聖ローマ帝国
    2025/03/14

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第54回目はヨーロッパ世界の形成「神聖ローマ帝国」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    東フランク王国の王であるザクセン家のオットー1世はマジャール人をレヒフェルトの戦いで破る。また、2度のイタリア遠征で教皇を救援。962年に聖職者や市民の歓迎を受けてローマに入り、教皇により皇帝として戴冠し、神聖ローマ帝国が成立した。しかし、歴代の皇帝はドイツ王を兼ねたが、イタリア政策に熱中し国内の不統一を招いた。

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  • #57【通史】世界史④ヨーロッパ世界の形成6:フランク王国4
    2025/03/12

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第53回目はヨーロッパ世界の形成「フランク王国4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    カールの帝国は、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約により、東フランク、西フランク、イタリアの3王家に分かれた。

    西フランクでは987年にカロリング家が断絶し、諸侯たちによりパリ伯のユーグ=カペーが国王に選ばれ、カペー朝を開いた。しかし、王領はパリ、オルレアンとその周辺にとどまり極めて狭く、諸侯が多数分立していたため王権は弱体であった。

    東フランクでは911年にカロリング家が断絶し、有力な諸侯の選挙による王政に移行した。イタリアでは875年にカロリング家が断絶すると、小国家の分立が続いた。


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  • #56【通史】世界史④ヨーロッパ世界の形成5:フランク王国3
    2025/03/10

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第52回目はヨーロッパ世界の形成「フランク王国3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    ピピンの子カール大帝は北イタリアではランゴバルド王国を滅ぼし、北ドイツではザクセン人を服従させ、南ではイスラーム勢力を撃退、東では侵入してきたアジア系遊牧民のアヴァール人を撃退する。

    国内では全土を州に分け地方の有力豪族を州長官の伯に任命、巡察使に伯を監視させるなど中央集権体制を確立させた。

    800年、教皇レオ3世はローマ皇帝の冠を授ける。フランク王国がビザンツ帝国に対抗できる強国になったと判断し、ローマ教会の守護者とする目的があった。カールの戴冠は西ヨーロッパ世界が、政治的・文化的、宗教的にビザンツ帝国の権威から独立したことを意味した。

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  • #55【通史】世界史④ヨーロッパ世界の形成4:フランク王国2
    2025/03/07

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第51回目はヨーロッパ世界の形成「フランク王国2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    西ゴード王国を滅ぼしたイスラーム勢力のウマイヤ朝が、ピレネー山脈を超えてガリアに侵攻しようとした。732年フランク王国の宮宰カール=マルテルはトゥールーポワティエ間の戦いで、これを打ち破る。

    彼の子であるピピンは、王位を奪いカロリング朝を開く。イタリアに遠征しランゴバルド王国と戦い、ラヴェンナ地方を奪い、それを教皇に寄進。これがローマ教皇領の起源となる。

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  • #54【通史】世界史④ヨーロッパ世界の形成3:フランク王国1
    2025/03/04

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第50目はヨーロッパ世界の形成「フランク王国1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    ゲルマン人のたてた国の大半は短命に終わる。しかし、ライン川東岸のフランク人は違った。481年メロヴィング朝を開いたクローヴィスによって統一され、フランク王国は西ヨーロッパ形成の原動力となる。

    496年、彼はアタナシウス派のキリスト教に改宗することによりローマ人と良好な関係を築く。異端のアリウス派を叩くことを口実に、ほかのゲルマン諸国家との戦争を正当化した。6世紀半ば、フランク王国はブルグンド王国などを滅ぼして全ガリアを統一する。しかし、8世紀になるとメロヴィング朝の権力は衰え、宮宰が実権を握るようになっていた。

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  • #53【通史】世界史④ヨーロッパ世界の形成2:ゲルマン人2
    2025/03/03

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第49目はヨーロッパ世界の形成「ゲルマン人2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    4世紀後半、アジア系遊牧民のフン人がゲルマン人の一派東ゴード人を征服、さらに西ゴード人を圧迫した。376年西ゴード人はドナウ川を渡ってローマ帝国内に移動する。これをきっかけに他のゲルマン部族も大移動を開始したので、後にゲルマン人の大移動と呼ばれた。

    フン人はアッティラ王のときにパンノニアに大帝国を建てたが、西ローマ帝国とゲルマン人の連合軍に451年カタラウヌムの戦いで敗れ、急速に衰えた。この混乱の中、西ローマ帝国は476年ゲルマン人傭兵隊長オドアケルに滅ぼされた。

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  • #52【通史】世界史④ヨーロッパ世界の形成1:ゲルマン人1
    2025/02/27

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第48回目はヨーロッパ世界の形成「ゲルマン人1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    バルト海沿岸を原住地とするインドヨーロッパ系のゲルマン人は、先住民のケルト人を圧迫する。紀元前後にはライン川から、黒海沿岸にいたる広範な地域に拡大。ローマ帝国とライン川、ドナウ川で接するようになる。

    大移動前のゲルマン人については、カエサルの『ガリア戦記』やタキトゥスの『ゲルマニア』に記されている。部族ごとに王や数名の首長が統率し、貴族と平民の成年男子全員が参加する民会が政治の最高機関であった。大移動前にもローマ帝国内に傭兵や官吏(かんり)、コロヌスとしてローマに平和的に移動する者もいた。

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  • #51【通史】世界史③古代ローマ17:キリスト教2
    2025/02/26

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第47回目は古代ローマの歴史「キリスト教2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇基本文

    増え続けるキリスト教徒を取り込むほうが得策と考えたコンスタンティヌス帝は313年のミラノ勅令でキリスト教を公認して迫害を停止する。

    さらに教義論争に介入して325年にニケーア公会議を開催、後に三位一体説を確立するアタナシウス派を正当とし、アリウス派を異端とした。

    392年テオドシウス帝の治世にキリスト教は国教となる。


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