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サマリー
あらすじ・解説
徳を育む 兵庫県在住 旭 和世 小さい頃、買い物について行って、「お母さんこれ欲しい!」とおねだりすると、母は決まって「そう、これ欲しいの。だけどね、徳まけしちゃうから、また今度にしようね」と言いました。 「ダメよ」とか「我慢しなさい」ではなく、いつも「徳まけ」という言葉が出てきました。幼い私には、「徳まけ」という言葉がどんな意味なのか分かりませんでしたが、「何でも好き放題にすることは良くないんだな、わがまま言ったらダメなんだな」と、何となく感じていました。 なぜそのように母が言っていたのかを理解できたのは、大人になってからのことです。ある時母から、私たちがまだ小さい頃、「子供たちには一切おもちゃを買い与えません」と、神様に心定めをしていたことを聞かされました。 「小さい時に徳を使い果たすと、将来運命が行き詰ってしまう。分からないうちは、親が子供の徳積みをさせてもらわないと!」母はそんな思いで、私たちを育ててくれたそうです。 当時、お友達のいえに行くと、かわいい着せ替え人形やぬいぐるみ、流行りのキャラクターグッズなど、うちにはない色んなおもちゃがあって、とても魅力的でした。それでも、「どうして私は買ってもらえないの?みんなはいいな」などと思ったり、卑屈になったりしたことはありませんでした。母の信念を、子供なりに感じ取っていたからだと思うのです。 また母は、信者さんが普段食べることの出来ない珍しい物を持ってきて下さった時も、神様にお供えし、そのお下がりを必ずいちばんに祖父母に食べてもらっていました。そうして、両親が祖父母をとても大切にしている姿を見て育ったので、おいしい物が目の前をスルーしていっても、うらやましがることもなく、いつも穏やかな気持ちでいることができました。 母は後に、親なら、美味しそうな物を子供たちに食べさせてあげたいと当然思うけれど、それを子供たちの今だけの喜びに終わらせるのではなく、幸せの種にしてあげられたらと思っていたのだと、聞かせてくれました。 天理教教祖・中山みき様のお言葉に、 「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで」(教祖伝逸話篇78「長者屋敷」) とあります。 これは、当時のお屋敷に住んでいる人へ向けたお言葉ですが、今を生きる私にとっては、「欲の心、物への執着をなくせば、人は何にもとらわれることなく、何不自由ない幸せに満ちあふれた暮らしができる」という意味に受け取ることができます。それは、小さい頃から、執着の心やとらわれの心を手放すことの大切さを、両親から教えられてきたおかげだと思います。 自分自身の子育てでは、親がしてきてくれたように、我が子に徳を育むことの大切さを伝えられているのか、試行錯誤の日々ですが、この春こんな出来事がありました。 我が家は昨年、長男が天理高校に進学し、今年は長女が天理高校に入学しました。その長女の入学の準備をしていた時でした。 制服や体操服はお下がりを頂けることに決まっていたのですが、カバンだけがなく、買わないといけない状態でした。そんな折、長男から電話があり、「妹のカバンは買わなくていい」と言うのです。「どうして?」と聞くと、驚きの答えが返ってきました。 「去年ボクが高校入った時、お下がりのカバンは嫌だって言って、新しいの買ってもらったやん?」 「ああ、確かにそうやったね」 「だけど、そのあと後悔してな…。物は大切にせなあかんなあと思って、新品使わずに、お下がりのを使ってるねん。だから、新品のカバン、そのまま使わせてあげて!」 「え?そうなん?でも、お下がりのカバン結構傷んでたんちゃう?」 「いいねん、破れるまで使うわ」 まさか、そんなこととは知らず、驚くとともに、とても嬉しく思いました。きっと、学校で、お下がりの...