• 天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
  • サマリー

  • 心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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あらすじ・解説

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
エピソード
  • 同居の恩恵
    2024/11/01
    同居の恩恵 兵庫県在住  旭 和世 「ばあばちゃ~ん!これ直して~」 おもちゃを壊してしまった時、うちの子たちは私の前をスルーして、すぐ母の所に持っていきます。宿題で分からない所があると、「じいじ~宿題おしえて~」と、父の所に飛んでいきます。 食べたい夕食のメニューがある時も、うちの子は迷いなく「ばあばちゃ~ん、今日ハンバーグ食べた~い」と母におねだりに行きます。娘に「どんな人が好みのタイプなの?」と聞くと、すかさず「じいじみたいな優しい人がいい~!」と言います。 子供たちは本当に正直です。この子たちの親はいったい何しとるねん!と、つっこまれそうですが、そうやってじいじ、ばあばに甘えられる子供たちを見て、心からありがたいと思うのです。 私は教会の後継者である主人と恋愛結婚し、主人の両親やきょうだい達と教会で同居することになりました。深く考えることもなく、そんなものだと思って嫁いできました。 でも良く考えてみると、主人は自分が選んだ相手ですが、両親までは選べません。きょうだいもしかり。どんな人と家族になるかは、ある種くじ引きみたいなものです。よく、そんな賭け事みたいな人生におそれることなく、のん気にやってきたものだと、今となっては笑えてきます。 ただ、自分も教会で育ち、幼い頃から神様のお話を通じて心の使い方などを教えられてきたので、きっと、同じ教会なら価値観や考え方も似ているだろうと信じていました。 嫁いですぐに馴染めたかと言われたら、もちろんそんなことはありません。最初は緊張したり、気もつかったり、多少のカルチャーショックも受けつつ、じわじわと慣れてきたように思います。その一方で、両親や周りの方はそれ以上に、私に気をつかってくれていただろうと思うのです。 ママ友からよく言われます。「え~、旦那さんの両親と同居してるの? うわ~、大変だね~。私は無理だわ~」 主人の家族と同居するのは、私の住む地域ではとても珍しいことなのだと、周りのママ友を見て気がつきました。私は実家でも祖父母が一緒に住んでいたこともあり、特に抵抗がなかったので、こんなにもびっくりされるということに、まず驚きました。でも実際一緒に住んでみると、良い面がたくさんあるということに年々気がついてきました。 現代では出産を機に、環境の変化や子育ての不安などにより、「産後うつ」を発症するママさんがたくさんおられると聞きます。きっと、理想とかけ離れた育児の現実に戸惑い、その悩みを誰にも相談することができず、一人で抱えている方が多いのではないかと察しています。 その点で言うと、もし両親と同居していれば、育児の先輩がすぐそこにいてくれて、アドバイスをもらったり、長年の知恵を授けてもらうこともできます。 今はネット上に情報があふれ、育児書も充実しているので、ひと昔前の情報が古臭いと感じることがあるかもしれません。でも、経験者がそばにいる心強さと、まったく目が離せない時期にちょっと見てくれる人がいる安心感、それだけでも産後の不安はかなり解消されると思います。 私自身は、子供が大きくなるにつれて、益々親のありがたさに気がつきました。若い頃、甥っ子や姪っ子の面倒を見ていた時は、可愛いばかりで怒る必要はなかったのですが、我が子となると責任を感じてしまい、ちゃんと育てないと!とか、人の迷惑にならないように躾けないと!などなど、妙に力が入ってしまいます。そして、気がつけば必要以上にガミガミ言っている自分がいて、「こんな怖いママになるつもりはなかったのに…」と、我が子の可愛い寝顔を見て後悔することもしばしば。 でも、子供たちにとれば、私がガミガミ言っていても、隣りでじいじやばあばが笑ってフォローしてくれたり慰めたりしてくれるので、それが救いになっているようでありがたく思っています。 ややもすると、我が子を自分の分身のように考え、こちらの思う通りに育てたいと思いがちだけど、親がそばにいてくれるおかげで、子供は一人の人間として「個」を持つ存在であり、その個を大切...
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    1分未満
  • 神様の大作戦(後編)
    2024/10/25
    神様の大作戦(後編) 助産師  目黒 和加子 臍帯剪刀を手にしたこの日は、奇しくもおさづけの理を戴いたあの日と同じ7月17日だったのです。 「これって偶然? 教祖に助産師になってみせるって言うたけど、もしかしてなるように仕向けられてるの?」 神様が練った作戦に気づき始めたのです。 私が目指したのは、新潟大学医療短大助産専攻科です。入試の2ヵ月前、腰の激痛で椅子に座れなくなり、近所の整形外科を受診、腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。 新潟大学を受験することを、院長の南先生に伝えると、「僕は30歳の時に造船会社をリストラされて、一念発起して医学部を受験して36歳で医者になったんや。34歳で受験か。新潟に行けるよう全力で応援するで」と、嬉しいお言葉。 痛みを抑えるため、飲み薬だけでなく神経ブロック注射も受けましたが、効果は今ひとつ。これでは飛行機に乗れません。すると南先生は、私が搭乗予定の日本エアシステムに、「人生をかけた34歳での受験なんです。3人席の肘掛けを上げて、横にしてフライトしてもらえないでしょうか」と、手紙を書いてくださったのです。 日本エアシステムからの返事は、「離陸と着陸の時は座ってもらい、それ以外は希望通りになるよう配慮します」とのこと。なんとまあ、こんなことがあるのでしょうか。私はこうして、ひどい腰痛を抱えたまま新潟大学を受験することができたのです。 入試が終わり、帰りの飛行機での出来事。満席のため、行きと違いどうしても座らなければならず、痛み止めの座薬を入れて飛行機に乗り込みました。客室乗務員さんがひざ掛けを丸めて腰に当ててくれるのですが、効果がなく冷や汗が出てきます。 すると、隣りに座っていたおじさんが、「どうしたの? 腰が痛いの?」と心配そうに声を掛けてきました。「はい、腰椎にヘルニアがありまして…」と答えると、「ワシも30年前からヘルニア持ちなんや。おっちゃんに任しとき!」と言って、客室乗務員さんにひざ掛けを何枚か持って来させ、それを私の背中と椅子の間にぎゅうぎゅうに詰め込み、がっちり固定。すると、痛みが引いたのです。 驚いた顔の私に、おじさんは「腰のヘルニアは治ることはないけど、上手に付き合えるで。大丈夫やで」と、笑顔で励ましてくれました。 石田病院に勤めて数カ月後、看護師のなっちゃんから電話がありました。なっちゃんは看護師として勤務しながら、助産師学校の合格を目指して予備校に通っていたのですが、突然、「私、結婚するから助産師目指すのやめるわ」と言うのです。 「せやから、和加ちゃんに予備校の教材全部あげるわ。高かってんで、がんばりや!」なんと、教材をタダで手に入れてしまいました。 「よし、これで学科試験は何とかなる。問題は小論文や」 今でこそ、こうして原稿を執筆していますが、その当時は小学生の作文のような文章しか書けなかったのです。早速、予備校の通信教育小論文コースで指導を受けることにしました。 予備校の先生から課題をもらい、小論文を書いて提出するのですが、毎回戻ってくる原稿用紙は、赤ペンの修正だらけ。 9月に送られてきた課題は、「現在の日本における老人看護の現状とこれから」。9月半ばに小論文を提出し、添削指導が戻ってきたのは10月初旬でした。 封筒を開けてビックリ! 新しい原稿用紙に万年筆で書かれた模範解答が入っていたのです。おそらく、修正箇所が多すぎて真っ赤っかになったので、一から書いてくださったのでしょう。 「すごい! さすが赤ペン先生、めちゃめちゃ上手いわ。なんて素晴らしいお手本なんや」 次の日からその模範解答をかばんに入れ、通勤電車の中で黙読を続け、1カ月後には暗記できるようになりました。この模範解答の暗記が、入試で効いてくるのです。 推薦入試の受験日は11月末。定員は20名ですが、そのうち推薦入試の枠は、たったの5名。私の受験番号は2番なので、何人受験するのか検討がつきません。 いよいよ受験当日。新潟大学の試験会場に行ってびっくり! なんと80名を超える受験生がいるではありませんか。競争倍率16倍の超狭き...
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    1分未満
  • 神様の大作戦(中編)
    2024/10/18
    神様の大作戦(中編) 助産師  目黒 和加子 気温30℃を超える7月の真夏日、神様に文句を言おうと自宅を出ました。京阪電車の萱島駅に着き、4番線に止まっている準急に乗り込むと、「3番線を特急が通過します。しばらくお待ちください」と、車内アナウンスが聞こえてきました。 〝もし脳炎になったら、特急に飛び込んで死のう〟そんなことを考えながら3番線を眺めていると、目に入ったのは青いジャンパーを着た男性。すると、その男性は突然走り出し、特急に飛び込んだのです。特急電車は金属音を立てて急停車。 人の死を間近で目撃し、頭を金槌で殴られたような衝撃が走りました。 〝神様に見せられた! 私がしようとしたことは、どういうことなのか見なければいけない〟 急いで準急から降り、3番線側に向かうと何かにつまずきました。それは、男性の腕の一部でした。ちぎれた青いジャンパーに親指だけがついていました。周囲を見回すと足首、頭の一部、肉片が飛び散り、見るも無残な状態。 〝あかん! こんなことしたら絶対あかん。こんな姿、親に見せられへん…。じゃあ、どうしたらええの? どう生きればいいのよ!〟 頭の中が混乱したまま、おぢばに到着。神殿に駆け上がり、賽銭箱にお供えを思いっきり投げつけて、「神様、看護師になってこれからという時に何でですか! 全然喜べません! でも、なにか意味があるんですよね? 人間の親やったら、その意味を教えてください!」 かんろだいを睨みつけ、怒りをぶつけました。それでも怒りは収まらず、阿修羅のような形相で回廊を歩いていると、鼻からドッと出血し、マスクは血だらけ。すれ違う人はギョッとした顔で固まっています。 教祖の御前に座ると、涙がこぼれてきました。当たり前のことですが〝人間は必ず死ぬ。人生には限りがある〟と痛感したのです。 そして、今、この病気で出直すとしたら何を後悔するか思案を巡らせると、真っ先に心に浮かんだのは、看護学校の実習で見学したお産の現場でした。 「お産ってスゴイ! 助産師さんってスゴイ! 素晴らしい仕事や!」と心が震えました。担任の先生に「助産師を目指したら?」と勧められましたが、これほど責任の重い仕事は無理だと諦めていたのです。 しかし、死がちらつく重い病気になり、考えが変わりました。今世で後悔を残さないためにどうすればいいのか。私は教祖に、「このままでは終われません。助産師になってからでないと死ねない。何としてでも助産師になってみせます!」と言い放ったのです。 神様に向かってなんとまあ、高慢ちきなことですよね。でもこれは、真っ直ぐで気の強い、私の性格を見抜いていた親神様と教祖の巧妙な作戦だったのです。もちろん、この時はまったく気づいていません。 鼻から血を流しながらおぢばに帰った翌日、西宮市にある所属教会に行きました。死を意識し、「今世最後の参拝になるかも…」と覚悟を決め、貯金を全部お供えしました。若い頃からお世話になっている親奥さんに病気のことを話すと、おさづけを取り次いでくださいました。 そして、「明日は上級の中央大教会の月次祭よ。このお供えを今すぐ速達で送ると祭典に間に合うから」と、郵便局に連れて行かれました。 暗い気持ちで座っていると、親奥さんが「和加ちゃん、神様がたすけてくださるから大丈夫よ」と笑顔で言うのです。〝なんで大丈夫と言い切れるんやろう?〟疑問に思いながら郵便局を後にしたのですが、ここから運命の歯車が動き出すのです。 教会からの帰り、クビになった病院に置いてある私物を取りに行きました。ナースステーションの入り口で、「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません」と頭を下げましたが、誰も仕事の手を止めてくれません。 この病院では、中途退職者が出ても年度が変わる4月までは欠員補充がありません。〝あなたが辞めたせいで、来年の3月末まで大変な思いをしないといけないのよ〟という雰囲気が漂っていました。退職の理由が病気であってもです。看護部長室にも伺いましたが、会ってもいただけません。 惨めな気持ちで通用口を出ると...
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