• 天理教の時間「家族円満」

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天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
  • サマリー

  • 心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
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あらすじ・解説

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。
エピソード
  • 子育ては自分育て
    2025/04/11
    子育ては自分育て 静岡県在住  末吉 喜恵 子育ては自分育てと言われています。子供の成長と同様に自分も成長するのだなと実感しています。 私は5人の子供を育てていますが、子供たちもそれぞれ違う性格で、私の性格とも全然違います。赤ちゃんの時からその性格を尊重してあげることはとても大切ですが、難しい時もあります。 長女は私とはまるで正反対の性格です。私は楽天家で「なんとかなるさー」と、考えるより先に行動してしまうタイプですが、長女は慎重派で「なんとかならなかったらどうしよう?」と考え、石橋を叩いて渡るタイプです。 小学生の時も、「忘れ物したらどうしよう」「お友達とケンカしたらどうしよう」「怪我したらどうしよう」などと、何をするにも不安が先に来るのです。「大丈夫、大丈夫」と言っても納得がいくまでランドセルの中身を確認したり、自分の気持ちを整えるまでとても時間のかかる子でした。 「早く、早く」という言葉をできるだけ使わないように、私もできるだけ心を落ち着かせて付き合っていました。 こんなこともありました。次女と三女の双子が生後3ヶ月で、長女が2歳の時の話です。双子用ベビーカーを押し、長女を歩かせて近所をお散歩していました。押しボタン信号があり、信号が青に変わったので横断歩道を渡りました。 私は長女が付いて来ているものと思い、後ろを振り返ると、まだ横断歩道を渡らずに反対側の電柱の周りをくるくる回っていました。信号はすぐ赤になり、車道側が青色になってしまいました。 私はドキドキしながら「そこで待ってて!」と長女に言いましたが、もし車道に飛び出したらどうしようと、気が気でありませんでした。しかし、ドライバーの方が「いいですよ。迎えに行ってください」というジェスチャーをして待ってくれていました。 そのおかげでベビーカーをその場に置き、横断歩道を渡って長女を迎えに行き、抱きかかえながら戻ってくることができました。親切なドライバーの方にお礼を申し上げ、たすかったと心から感謝しました。 また、長男は無鉄砲なところがあり、公園につくと遊具にまっしぐらに向かい、レジャーシートを敷いているうちに見失ってしまうこともありました。 長男が3歳の時のことです。とても大きな海の見える公園に行くと、子供たち4人がそれぞれ違う方向へ遊びに行きました。探しに行くと、3人の娘たちはすぐ見つかりましたが、長男が見つかりません。連休中で、しかも新しくできた海賊船があるとても有名な公園なので、大勢の人で賑わっていました。 いろんな遊具や砂場、水遊びができるところなどを探しましたが、見つかりません。3人の娘たちに聞いても「知らない」と素知らぬ顔で遊んでいます。夫と二人で探し回りましたが、やはり見つからず次第に焦ってきました。 すると放送が流れ、「迷子のお知らせです」と、長男の名前がアナウンスされました。大人に囲まれて大泣きしていたようです。たすけてくださった方には、本当に感謝しました。 子育てをしていると本当に色々なことが起きてくるものです。これ以外にも小さな親切は色々なところにあります。その小さな親切を見逃すことなく、感謝の気持ちを言葉で伝えていくことが大切だなと思いました。 子供は、親自身が成長するために神様から預からせて頂いている、大きな宝物です。子供を通じて学び、鍛えられ、心を成長させることが出来ているように思います。 小さい頃は自分で出来ることが少なく、親が色々と世話取りをしてあげなければならないし、将来のことを心配してとやかく言ってしまうこともあります。子供の生きる力をいかに信じるかが試されているようです。 ややもすると、子供を自分の分身のように思ってしまうこともありますが、子供一人ひとりに持って生まれた徳分があり、その子供の個性を尊重してあげることが大切だと思います。 自分の思いと子供の思いが違う時でも心に折り合いをつけ、できるだけ子供の気持ちに寄り添い、その思いを分かってあげたいです。 私は子育て支援活動をしていますが、講座などでお...
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    1分未満
  • 親孝行とは
    2025/04/04
    親孝行とは 埼玉県在住  関根 健一 先日、ある映画を見ました。 「いまにまるを」というタイトルの15分弱の短編ドキュメンタリー作品です。この映画の主人公である新田さんは、天理教の教会長として活動する傍ら、学習支援や障害福祉事業を通じて、長年にわたり障害者のサポートを続けてきた方です。 新田さんには、重度の知的障害がある娘さんがいらっしゃいます。彼女は言語によるコミュニケーションが難しく、排泄を含む生活の多くの場面で介助が必要です。 この映画では、新田さんが支援してきた子供たちや、娘さんとの生活を通じて得た気づきや教訓が、短い時間の中にギュッと凝縮されています。障害のある娘と生活する私たち夫婦にとって、この映画は非常に心に響くもので、観終えたあとしばらく涙が止まりませんでした。 そんな映画の中で、新田さんが語るとても印象的な言葉がありました。娘さんがまだ幼かった頃、新田さんは恩師から「娘さんには親孝行させなくちゃいけないよ」と言われたそうです。 「でも、娘は自分の身の回りのことも出来ないのに、親孝行させるとはどういうことだろう?」と疑問に思った新田さんは、恩師に「この子に親孝行をさせるには、どうしたらいいのですか?」と問いかけました。 すると恩師は、こう答えたそうです。「親孝行とは、子供が親を喜ばせること。どんな子でも、何もできなくても、その子のすべてを親が喜べば、その子は親孝行していることになるんだよ」。 その言葉を聞いて以来、新田さんは「子供のプラスを探す」ということを常に心がけてきたと語っていました。 実はこの話は、新田さんと出会った頃にも聞かせて頂いたことがあり、私の心に深く刻まれました。それ以来、折に触れてこの言葉を思い返し、娘が通う特別支援学校のPTA会長を務めていた頃には、卒業式の祝辞でこのエピソードを引用したこともありました。その際、多くの先生や保護者から「親孝行のお話、素晴らしかったです」と感想を頂いたことを、今でも鮮明に覚えています。 先日、80歳を過ぎた母が庭で転倒し骨折してしまいました。幸いにも命に別状はなかったのですが、突然の入院生活に母も戸惑っているようです。 私もできる限り頻繁に会いに行きたいのですが、コロナ禍以降、面会の時間や回数に制限があり、月に数回しか顔を見せることができません。この状況はとても寂しいのですが、「母の子供」としての感情から一歩引いて、「教会長」という立場で母の身に起きた出来事を、神様の思召しとして捉え直すよう努めています。 その中で、教祖140年祭に向かう年祭活動の2年目であることや、骨折という形で母がお見せ頂いたという事実に意味を見出そうと考えました。 そうした中で、ふと新田さんの話を思い出しました。 「親が子供のすべてを喜ぶことで、子供は親孝行となる」という言葉ですが、これを逆にして「子供が親のすべてを喜ぶことが親孝行につながる」とも考えられるのではないかと思ったのです。 私は幼い頃から母に様々なことを教えてもらい、多くを学んできました。そして今、母が高齢になり、以前のように何かを教え諭されることが少なくなったことに、寂しさを感じています。しかし、母の身に起きた出来事を通して私が神様の思いと向き合い、信仰を深めることができれば、それは「母が信仰者として私を仕込んでくれたのだ」と言えるのではないかと思うのです。 こうして考えると、人間はその「行い」だけでなく、「周囲の心」から救われることもあるのではないでしょうか。 極端な例かもしれませんが、現代ではメディアやインターネットの発達により、日々多くの犯罪がニュースとして報じられています。もちろん犯罪を犯すことは決して許されるべきではありませんが、その背景には、本人だけでなく周囲の環境や社会のあり方にも原因がある場合が多いのではないかと感じます。 「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、ただ行いを非難するだけでなく、そこから得られる教訓を社会の改善に生かすことができれば、未来は少しずつ変...
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    1分未満
  • おさづけの不思議
    2025/03/28
    おさづけの不思議 タイ在住  野口 信也 私は結婚して3年後、タイの大学院で学ぶため、三度目の渡泰をしました。その時も、以前と同じように病気の方の平癒を願う「おさづけ」を取り次ぐため、病気の方のお宅や病院を訪れていました。特にがんや脳腫瘍など、命に関わる病気の方の所へは毎日通っていたので、大学で講義を受けた後、3~4カ所は行く所がありました。 毎日大渋滞が起こるタイには、日本にはないバイクタクシーというものがあります。渋滞をすり抜けて走ってくれるので、4~5時間かかるところを1~2時間程度で移動することができ、たいへん重宝していました。 タイでの最初の2年間、大学へ入って3年半、そして大学院の時と、こうしたことを6年近くも続けていると、時には全く知らない方から「病人がいるので来てもらえないか」という電話がかかってくることもありました。人口およそ600万人を擁するバンコクであっても、少しずつでも続けることで、知らぬ間に色々なつながりができるのだなと感じました。 大学院を修了する少し前のことです。大学の頃からの友人K君から、「お付き合いしている彼女の祖母が危篤の状態だ。おそらく葬儀が明日から一週間行われるので参列してほしい。このおばあさんには、何とか自分たちの結婚式に出席してもらいたいと思っていたけど…」と電話が入りました。 このおばあさんは99歳で入退院を何度も繰り返していて、いよいよなので親族を呼ぶよう医師に言われたそうです。まだご存命ということなので、私はすぐ病院にかけつけ、最後となるであろうおさづけをさせてもらいました。 すると、その夜K君から、明日の葬儀は中止でおばあさんは自宅療養することになったとの連絡が。翌日から帰国するまで、毎日おばあさんのおさづけに通い、K君と孫の結婚式にも出席してもらうことができました。 その後、日本に帰国してから7年ほど経った冬に、タイから一本の電話が入りました。K君からで、彼の義理の姉が良性腫瘍の摘出のため開腹手術をしたところ、悪性腫瘍で腹部全体が侵されていて、卵巣を取るなどできる限りの処置をしたが、もう手の施しようがないとのこと。医師からは「あと3カ月、長くても半年です」と宣告されたそうです。 病人さんのご主人が電話に出られ、「私たち夫婦と娘一人、いつまでも仲良く暮らしていきたい、何とか救けて下さい」と言われました。 ご主人は以前のおばあさんのおたすけのことを知っておられ、真っ先に天理教の神様にたすけを求めてこられたようですが、私はそういう切羽詰まった場面にとても弱く、どうしたら良いか焦っていました。 それでもおさづけをさせてもらうしかないと思い直し、勤務先である天理教海外部の上司に3日間だけ休暇をお願いすると、「人をたすけるためなら何日でも構わない」と許可を下さったので、すぐタイへ出発しました。 飛行機の中で、ふと『教祖伝逸話篇』に書かれている、当時の最も丁寧だと思われる病気平癒の方法を思い出しました。「座りづとめ」と「十二下りのてをどり」を一座とし、一日に昼三座、夜三座、これを三日間行う方法です。 以前、海外の学生がその逸話篇を呼んで、一日6回のおつとめを実際にやってみようと試みたことがありました。私がタイへ到着するのが朝の5時で、帰るのは二日後の夜中の12時ですから、ちょうど丸三日間。よし、これで行こうと決めました。 空港へ到着し、その足で友人宅へ行き一度目のおさづけ。その後すぐバスで一時間半かけて神様を祀っているタイ出張所へ。そこで一回目の座りづとめと十二下りのてをどり。所要時間は約一時間。その後また友人宅へ戻り、病人さんに二度目のおさづけ。そしてまたタイ出張所へ行き、二回目の「座りづとめと十二下りのてをどり」。こうして3回、4回と繰り返しました。 さらに、夜から朝にかけての時間は病人さんのいるお宅へ泊めてもらい、その一室で5回目、6回目をつとめました。これを三日間、6回、6回、6回と繰り返しつとめ、三日目の夜中過ぎに挨拶もそこそこに帰国。おたすけ三昧の...
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