• キリストの力におおわれる~弱さという誇り(コリント人への手紙第二12章2節~10節)

  • 2024/12/29
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キリストの力におおわれる~弱さという誇り(コリント人への手紙第二12章2節~10節)

  • サマリー

  • 序)コリント教会の状況

    ・コリント教会は、パウロがおよそ 1 年半をかけて、この町でキリストを宣べ伝え、生まれた教会。コリントの町は「神々」でいっぱいだった。

    ・パウロがコリント教会を離れた後、様々な「教師」が来訪し、偽使徒も入り込み、混乱が起こっていた。この状況に対して書かれた手紙がコリント人への手紙第二である。

    1)パウロが誇る人(2 節~5 節)

    ・「キリストにある人」…キリストと結びついて、一致していた人。

    ・「第三の天」…当時「天」は、三階層で考えられていた。第三の天は、地上から遠い、神のおられるところ=「パラダイス(4 節)」

    ・幻を見たくて見たのではなく、神の意志によって不思議な経験をさせられた人を、パウロは誇るという。

    2)素晴らしさとおろかさと(6 節~8 節)

    ・他人事のように書いていた人物が、実はパウロ自身のことなのか?

    ・この表現は、この啓示の出来事の主体が神の側にあることを際立たせる。

    ・もしこの経験がパウロのものなら、自分の正統性を証明することになったはずだが、そういう風に用いることはしない。

    ・「素晴らしすぎて」という表現からは、相当のものだったはずだが、一切語られない。その代わり肉体に「とげ」が与えられたと語られる。 ・「とげ」が具体的に何かはわからないが、「サタン(神に敵対するものだが、神の許しなしには人間に害を加えることはできない)の使い」であることは理解していた。

    ・パウロはこの「とげ」を去らせてくれるように祈る。「三度」はたった3回というより、神の領域に関連する完全数。

    ・「とげ」はパウロを「打つ=打ちのめす」ものであり、パウロの苦悩が思われる。

    3)弱さという誇り(9 節~10 節)

    ・パウロは、神からの答えを得るのに、かなりの時間があったように思われる。それが 9 節の言葉であった。

    ・「とげ」が取り去られ、肉体の平穏が戻って来ることを希望したパウロに対して、神の恵み、憐れみが十分与えられていると告げられる。

    ・弱さゆえに、神の力は完全に現れるという神の逆転。

    ・弱さを植え付けられた自分を、自分自身が受け止めることができて初めて、わが身に起きているその現実を受け入れることができる。

    結)キリストの力におおわれる

    ・キリストの力が自分の弱さをおおい、自分自身をも強くされるに至る。

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あらすじ・解説

序)コリント教会の状況

・コリント教会は、パウロがおよそ 1 年半をかけて、この町でキリストを宣べ伝え、生まれた教会。コリントの町は「神々」でいっぱいだった。

・パウロがコリント教会を離れた後、様々な「教師」が来訪し、偽使徒も入り込み、混乱が起こっていた。この状況に対して書かれた手紙がコリント人への手紙第二である。

1)パウロが誇る人(2 節~5 節)

・「キリストにある人」…キリストと結びついて、一致していた人。

・「第三の天」…当時「天」は、三階層で考えられていた。第三の天は、地上から遠い、神のおられるところ=「パラダイス(4 節)」

・幻を見たくて見たのではなく、神の意志によって不思議な経験をさせられた人を、パウロは誇るという。

2)素晴らしさとおろかさと(6 節~8 節)

・他人事のように書いていた人物が、実はパウロ自身のことなのか?

・この表現は、この啓示の出来事の主体が神の側にあることを際立たせる。

・もしこの経験がパウロのものなら、自分の正統性を証明することになったはずだが、そういう風に用いることはしない。

・「素晴らしすぎて」という表現からは、相当のものだったはずだが、一切語られない。その代わり肉体に「とげ」が与えられたと語られる。 ・「とげ」が具体的に何かはわからないが、「サタン(神に敵対するものだが、神の許しなしには人間に害を加えることはできない)の使い」であることは理解していた。

・パウロはこの「とげ」を去らせてくれるように祈る。「三度」はたった3回というより、神の領域に関連する完全数。

・「とげ」はパウロを「打つ=打ちのめす」ものであり、パウロの苦悩が思われる。

3)弱さという誇り(9 節~10 節)

・パウロは、神からの答えを得るのに、かなりの時間があったように思われる。それが 9 節の言葉であった。

・「とげ」が取り去られ、肉体の平穏が戻って来ることを希望したパウロに対して、神の恵み、憐れみが十分与えられていると告げられる。

・弱さゆえに、神の力は完全に現れるという神の逆転。

・弱さを植え付けられた自分を、自分自身が受け止めることができて初めて、わが身に起きているその現実を受け入れることができる。

結)キリストの力におおわれる

・キリストの力が自分の弱さをおおい、自分自身をも強くされるに至る。

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