• SNSたすけ

  • 2024/09/13
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  • サマリー

  • SNSたすけ 千葉県在住  中臺 眞治 四年前、世間はコロナ禍となり、私たち家族も「ステイホーム」ということで、教会の中で過ごしていましたが、元々信者さんが一人もいない教会なので、何をしたらいいのか分からないという日々でした。そうした状況の中、私自身、神様から何かを問われているような気がして、夫婦でよく相談をしていました。 そんなある日、天理教青年会主催の「SNSたすけセミナー」が開催され、私も参加しました。「SNSたすけ」とは、SNS上で「生きる気力がない」というようなメッセージを発信している方とつながりを持ち、相談に乗る活動です。そして、必要な場合には教会で受け入れ、衣食住を提供しながら、その方が生き抜いていけるように手だすけをします。 私どもの教会には空いている部屋がいくつかあるので、これなら自分たちにも出来ると思い、妻と半年ほどの相談期間を経て、コロナ禍の令和3年3月に始め、現在まで29名を受け入れました。 活動を始めて間もない頃、ある30代の女性、Aさんとつながりができました。Aさんはすでに自ら命を絶つ日を決めていて、その日までのカウントダウンを日々SNS上で更新しながら、一緒に死んでくれる人を募っていました。 もしかしたら、教会の中で自殺してしまう可能性もあり、妻にその不安を話しましたが、最終的には二人で覚悟を決め、教会でお預かりすることになりました。 教会で暮らし始めてからも、カウントダウンは日々更新され、心配な状況は続きましたが、うちの子供たちを可愛がってくれたり、他の入居者の方とテレビを見ながら大笑いしたりと、楽しそうな姿も見られました。 日によって色々なことがありましたが、数週間が経った頃、Aさんがふと「今は死にたいなんて全く思わないです」と話してくれたことがあり、私たち夫婦もとても嬉しい気持ちになりました。おそらくAさんは、教会で入居者の方や私たち家族と共に過ごすうちに、それまで感じていた孤独感や絶望感が徐々に心の中から消えていったのだと思います。 その後、Aさんのお父さんが教会へお礼に来てくださいました。 「心配でしたが、家族にはどうすることも出来ませんでした。この教会にお世話になっていなかったら、娘は生きていなかったと思います」と、涙を浮かべて話してくださいました。 私たちが何か特別なことをしたわけではありません。振り返ってみると、神様がAさんにとってちょうどいい人との縁を、その時その時に応じてつないでくださっていたのだと思います。 Aさんはその後、一年ほど教会で暮らしながら仕事に通っていました。そして教会を出た一年後に結婚し、先日、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて教会を訪ねて来られ、共に喜びを分かち合いました。 SNSたすけでは、Aさんのように嬉しい出会いや別れもあれば、やるせなさが残る出会いや別れもあります。しかし、それらの縁はすべて神様がつないでくださっているのだと思う時、このおたすけは、私たち夫婦にとっての有難い学びの場であると感じることができるのです。 また、こうした活動は私たち夫婦の力だけでできるものではありません。アドバイスをして下さる方、寄付などで協力をして下さる方、トラブルがあっても許して下さる近隣住民の方など、活動を理解し、応援して下さる方々のおかげで継続できている活動です。そのことを思う時、私たちもたすけて頂いているのだなあと温かい気持ちになり、困っている人を前にした時には、自分にできることを何かさせてもらおうという気持ちになるのです。 私自身、コロナ禍を振り返ってみて思うことがあります。この期間、「ソーシャルディスタンス」や「ステイホーム」が叫ばれ、人との距離をとることが大切にされる一方で、孤立や貧困の問題が浮き彫りになり、そうした報道が連日のようにされていました。 こうした社会状況にも神様の親心が込められているのだとすれば、私たち夫婦が神様から問われていたのは、信仰の有無にかかわらず色々な人と出会い、たすけ合うという生き方であったのではないかと感じています。 天理教の原典「...
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あらすじ・解説

SNSたすけ 千葉県在住  中臺 眞治 四年前、世間はコロナ禍となり、私たち家族も「ステイホーム」ということで、教会の中で過ごしていましたが、元々信者さんが一人もいない教会なので、何をしたらいいのか分からないという日々でした。そうした状況の中、私自身、神様から何かを問われているような気がして、夫婦でよく相談をしていました。 そんなある日、天理教青年会主催の「SNSたすけセミナー」が開催され、私も参加しました。「SNSたすけ」とは、SNS上で「生きる気力がない」というようなメッセージを発信している方とつながりを持ち、相談に乗る活動です。そして、必要な場合には教会で受け入れ、衣食住を提供しながら、その方が生き抜いていけるように手だすけをします。 私どもの教会には空いている部屋がいくつかあるので、これなら自分たちにも出来ると思い、妻と半年ほどの相談期間を経て、コロナ禍の令和3年3月に始め、現在まで29名を受け入れました。 活動を始めて間もない頃、ある30代の女性、Aさんとつながりができました。Aさんはすでに自ら命を絶つ日を決めていて、その日までのカウントダウンを日々SNS上で更新しながら、一緒に死んでくれる人を募っていました。 もしかしたら、教会の中で自殺してしまう可能性もあり、妻にその不安を話しましたが、最終的には二人で覚悟を決め、教会でお預かりすることになりました。 教会で暮らし始めてからも、カウントダウンは日々更新され、心配な状況は続きましたが、うちの子供たちを可愛がってくれたり、他の入居者の方とテレビを見ながら大笑いしたりと、楽しそうな姿も見られました。 日によって色々なことがありましたが、数週間が経った頃、Aさんがふと「今は死にたいなんて全く思わないです」と話してくれたことがあり、私たち夫婦もとても嬉しい気持ちになりました。おそらくAさんは、教会で入居者の方や私たち家族と共に過ごすうちに、それまで感じていた孤独感や絶望感が徐々に心の中から消えていったのだと思います。 その後、Aさんのお父さんが教会へお礼に来てくださいました。 「心配でしたが、家族にはどうすることも出来ませんでした。この教会にお世話になっていなかったら、娘は生きていなかったと思います」と、涙を浮かべて話してくださいました。 私たちが何か特別なことをしたわけではありません。振り返ってみると、神様がAさんにとってちょうどいい人との縁を、その時その時に応じてつないでくださっていたのだと思います。 Aさんはその後、一年ほど教会で暮らしながら仕事に通っていました。そして教会を出た一年後に結婚し、先日、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて教会を訪ねて来られ、共に喜びを分かち合いました。 SNSたすけでは、Aさんのように嬉しい出会いや別れもあれば、やるせなさが残る出会いや別れもあります。しかし、それらの縁はすべて神様がつないでくださっているのだと思う時、このおたすけは、私たち夫婦にとっての有難い学びの場であると感じることができるのです。 また、こうした活動は私たち夫婦の力だけでできるものではありません。アドバイスをして下さる方、寄付などで協力をして下さる方、トラブルがあっても許して下さる近隣住民の方など、活動を理解し、応援して下さる方々のおかげで継続できている活動です。そのことを思う時、私たちもたすけて頂いているのだなあと温かい気持ちになり、困っている人を前にした時には、自分にできることを何かさせてもらおうという気持ちになるのです。 私自身、コロナ禍を振り返ってみて思うことがあります。この期間、「ソーシャルディスタンス」や「ステイホーム」が叫ばれ、人との距離をとることが大切にされる一方で、孤立や貧困の問題が浮き彫りになり、そうした報道が連日のようにされていました。 こうした社会状況にも神様の親心が込められているのだとすれば、私たち夫婦が神様から問われていたのは、信仰の有無にかかわらず色々な人と出会い、たすけ合うという生き方であったのではないかと感じています。 天理教の原典「...

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