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#040「聞即信」とは、聞いているままが信心であって、聞いたら信心をいただけるということではないのでしょうか?(Peing-質問箱-より)
- 2024/10/12
- 再生時間: 21 分
- ポッドキャスト
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サマリー
あらすじ・解説
質問:
「聞即信」とは、聞いているままが信心であって、聞いたら信心をいただけるということではないのでしょうか?
https://peing.net/ja/q/98bb7cad-284d-424b-b2bc-1fc22b856e9c
質問箱には以下のように回答しています。
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はい。聞いたら→信心を頂けるということではありません。
信心とは、本願名号を現在聞いている状態をいいます。聞いたら信心を頂けるとすると、「聞いた」ことがあってもそれは時間が経つほど「過去」のことになってしまいます。現在「聞いている」ということにはなりません。
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これに加えて話をしています。
話の中に出てくる根拠
「聞其名号といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを聞といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。信心歓喜乃至一念といふは、信心は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」(一念多念文意 浄土真宗聖典註釈版P.678)
ブログ 安心問答-浄土真宗の信心について-
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