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#039「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか?
- 2024/10/04
- 再生時間: 21 分
- ポッドキャスト
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サマリー
あらすじ・解説
#039回は、質問箱の以下の質問について話をしました。
質問:
「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか?
質問箱には以下のように回答しています。
はい。口から称名となって称えられている南無阿弥陀仏以外に、何か「概念としての」南無阿弥陀仏を想定しても、それは自分の想像したものです。
「弥陀をたのむ」の弥陀とは、南無阿弥陀仏と称えられているこの南無阿弥陀仏です。
これに加えて話をしています。
話の中に出てくる根拠
わが弥陀は名をもって物を接したもう。ここをもって、耳に聞き、口に誦するに、无辺の聖徳、識心に攬入す。(教行信証行巻)
「帰命」ともうすは、如来の勅命にしたがいたてまつるなり。(尊号真像銘文)
質問や感想は以下によろしくお願いします。
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