• #8 「駅前食堂のピーナッツ味噌」 山本一力

  • 2023/03/27
  • 再生時間: 6 分
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#8 「駅前食堂のピーナッツ味噌」 山本一力

  • サマリー

  • キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第8回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「駅前食堂のピーナッツ味噌」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「駅前食堂のピーナッツ味噌」 山本一力 昭和42(1967)年1月、国鉄(当時)上野駅から石打駅まで、スキー列車に添乗した。スキーバスが全盛期を迎える前だ。石打到着は早朝5時。駅前の提携食堂で朝食休憩のあと、スキー客は夜明け直後のゲレンデに向かった。出払ったあとが添乗員の食事だ。朝食膳の小鉢を見て、思わず声を挙げた。「あっ……ピーナッツ味噌だ」と。「あらまあ。あんた、これを知ってるかね」食堂のおかみさんが驚き顔になった。「新聞配達当時、週に一度は食べてました」「あんた、東京のひとだよねえ?」スキー客が食べ終えた膳の片付けを止めて、おかみさんはわたしの前に座り込んだ。母と妹が働いていた読売新聞富ヶ谷専売店に、わたしも一年遅れで住み込んだ。そして朝夕刊を配達しながら、渋谷区立上原中学に通い始めた。朝刊配達を終えた5日目の朝。得体の知れないおかずが小鉢で供された。「ピーナッツ味噌ぞね」賄い婦で住み込んでいた母の返事である。ごはんは巨大な電気釜のなかで、お代わり自由だ。味噌汁も大鍋にたっぷり残っていた。おかずは日替わりで一品。ピーナッツ味噌は、わたしにはこの朝が初だった。味噌に包まれたピーナッツを口に運んだ。味噌は甘いし落花生は硬い。配達後で空腹の極みだったが、二箸目をつける気にはならなかった。他におかずはない。仏頂面で味噌汁をごはんにかけていたら、母に戒められた。「ご他人様の釜の飯を食べるときは、好きやら嫌いやら言うたらいかん。慣れなさい」長野県出身の店主ご夫妻には馴染みの郷土料理だった。しかし油で炒めたピーナッツを味噌と砂糖で仕上げた味は、高知では食べたことなどなかった。調理を言いつけられた母も、最初は戸惑ったらしい。が、すでにすっかり調理を会得していた。その後も週に一度は朝食に出された。朝刊配達で存分に走ったあとでは、味噌とピーナッツの甘味を、好ましくすら思い始めていた。                   *                   「都会のひとには受けないと言っても、うちのひとは聞かないから……」おかみさんが片付けている朝食膳には、手つかずのピーナッツ味噌小鉢が幾つもあった。夜行列車下車直後の起き抜けでは、硬いピーナッツなど食べる気にはならないのだろう。「滑ったあとの昼飯に出したらどうですか」朝夕刊配達の経験から提案したら、店主は納得したらしい。朝定食を食べ終えたばかりなのに、熱々のうどんをサービスされた。新聞配達の日々は、すでに半世紀以上もの彼方である。毎日の暮らしの料理が多彩になったら、好き嫌いを言うことが多くなった。そんなおのれを戒めるには、ピーナッツ味噌は良薬かもしれない。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― この料理を食べると、あの日のことを思い出す……。あなたにもそんな「おいしい記憶」はありますか?思い出すことで、笑顔や優しさを与えてくれる「おいしい記憶」。明日への活力に繋がりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/  See omnystudio.com/listener for privacy information.
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あらすじ・解説

キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第8回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「駅前食堂のピーナッツ味噌」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「駅前食堂のピーナッツ味噌」 山本一力 昭和42(1967)年1月、国鉄(当時)上野駅から石打駅まで、スキー列車に添乗した。スキーバスが全盛期を迎える前だ。石打到着は早朝5時。駅前の提携食堂で朝食休憩のあと、スキー客は夜明け直後のゲレンデに向かった。出払ったあとが添乗員の食事だ。朝食膳の小鉢を見て、思わず声を挙げた。「あっ……ピーナッツ味噌だ」と。「あらまあ。あんた、これを知ってるかね」食堂のおかみさんが驚き顔になった。「新聞配達当時、週に一度は食べてました」「あんた、東京のひとだよねえ?」スキー客が食べ終えた膳の片付けを止めて、おかみさんはわたしの前に座り込んだ。母と妹が働いていた読売新聞富ヶ谷専売店に、わたしも一年遅れで住み込んだ。そして朝夕刊を配達しながら、渋谷区立上原中学に通い始めた。朝刊配達を終えた5日目の朝。得体の知れないおかずが小鉢で供された。「ピーナッツ味噌ぞね」賄い婦で住み込んでいた母の返事である。ごはんは巨大な電気釜のなかで、お代わり自由だ。味噌汁も大鍋にたっぷり残っていた。おかずは日替わりで一品。ピーナッツ味噌は、わたしにはこの朝が初だった。味噌に包まれたピーナッツを口に運んだ。味噌は甘いし落花生は硬い。配達後で空腹の極みだったが、二箸目をつける気にはならなかった。他におかずはない。仏頂面で味噌汁をごはんにかけていたら、母に戒められた。「ご他人様の釜の飯を食べるときは、好きやら嫌いやら言うたらいかん。慣れなさい」長野県出身の店主ご夫妻には馴染みの郷土料理だった。しかし油で炒めたピーナッツを味噌と砂糖で仕上げた味は、高知では食べたことなどなかった。調理を言いつけられた母も、最初は戸惑ったらしい。が、すでにすっかり調理を会得していた。その後も週に一度は朝食に出された。朝刊配達で存分に走ったあとでは、味噌とピーナッツの甘味を、好ましくすら思い始めていた。                   *                   「都会のひとには受けないと言っても、うちのひとは聞かないから……」おかみさんが片付けている朝食膳には、手つかずのピーナッツ味噌小鉢が幾つもあった。夜行列車下車直後の起き抜けでは、硬いピーナッツなど食べる気にはならないのだろう。「滑ったあとの昼飯に出したらどうですか」朝夕刊配達の経験から提案したら、店主は納得したらしい。朝定食を食べ終えたばかりなのに、熱々のうどんをサービスされた。新聞配達の日々は、すでに半世紀以上もの彼方である。毎日の暮らしの料理が多彩になったら、好き嫌いを言うことが多くなった。そんなおのれを戒めるには、ピーナッツ味噌は良薬かもしれない。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― この料理を食べると、あの日のことを思い出す……。あなたにもそんな「おいしい記憶」はありますか?思い出すことで、笑顔や優しさを与えてくれる「おいしい記憶」。明日への活力に繋がりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/  See omnystudio.com/listener for privacy information.

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