• #11 「紅茶と海苔トースト」 山本一力

  • 2023/03/27
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#11 「紅茶と海苔トースト」 山本一力

  • サマリー

  • キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第11回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「紅茶と海苔トースト」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「紅茶と海苔トースト」 山本一力 前回の東京五輪は1964年。あの年、東京の夏は猛烈な渇水にあえいでいた。東京沙漠とまで呼ばれていた。わたしは当時、都立工業高校2年生。住み込みで、朝夕刊を配達して通学していた。配達区域の中盤には緑葉を多数の樹木に茂らせた、代々幡斎場があった。敷地内の木造従業員宿舎も、毎日の配達先だった。西日を浴びつつの夕刊配達には、斎場の木陰は東京沙漠のオアシスに思えた。「暑いなか、ご苦労さま」宿舎のおカミさんは、ねぎらいの言葉とともに、甘い紅茶を振る舞ってくれた。「冷たいのがいいのは分かってるけど、汲み置きの生水はよくないから」給水車の水で仕立ててくれた紅茶は、おカミさんの優しさをたっぷり含んでいた。当時の読売新聞社会面には、毎日の小河内ダム貯水率が報じられていた。8月下旬に襲来した豪雨を、都民は慈雨だと大喜びした。大雨でダムは機能を取り戻し、給水制限も段階的に解除された。斎場のおカミさんは厳しい残暑のなか、水道が生き返ったあとも熱くて甘い紅茶を振る舞ってくれた。純白の器には、底まで透き通って見える紅茶がお似合いだった。                   *                   あの五輪から26年が過ぎた1990年10月10日の祝日。ロードタイプの自転車で、赤坂の崖下にあった喫茶店を訪れた。五輪開会式となった10月10日は、晴れの特異日。高い青空の下、都内をロードで走るのが、毎年この日の楽しみだった。「きっと食べたことがないトーストだから」カミさんに従い、崖下に自転車を停めて店に入った。木造の店内は明るさに乏しかった。が、棚に並んだ白磁のカップの美を、薄暗さが際立たせていた。トーストは家内に任せたが、飲み物は迷わず紅茶にした。白いカップを見るなり、 斎場のおカミさんにつながったからだ。耳もついた5枚切りトーストの真ん中には、海苔がかぶさっていた。海苔からはみ出した部分は、美味さ約束のキツネ色だ。スポット照明が、トーストを照らしてくれていた。添えられた紅茶は懐かしや、カップの底まで透き通って見えていた。バターが溶け込んだトーストには、醤油が散らされていた。これが味の決め手だった。バターの塩味と醤油とは競わず、互いに引き立て合っている。その旨味を吸い込んだ海苔と、トーストとを同時に頬張るのだ。呑み込んだあと、口中に留まっている至福感。極上の塩味を、砂糖を加えた紅茶の甘さが、さらなる高みへと持ち上げてくれた。あの日以来、 紅茶こそデカフェに変わったが、自宅の朝食は海苔トーストである。木造宿舎も崖下の喫茶店も失せた。が、紅茶と海苔トーストのおいしい記憶は健在だ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あの時の「おいしい記憶」と結びついた味は、一生の宝もの。笑顔や優しさを与えてくれる「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.
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あらすじ・解説

キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。 今回は、第11回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「紅茶と海苔トースト」をお届けします。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「紅茶と海苔トースト」 山本一力 前回の東京五輪は1964年。あの年、東京の夏は猛烈な渇水にあえいでいた。東京沙漠とまで呼ばれていた。わたしは当時、都立工業高校2年生。住み込みで、朝夕刊を配達して通学していた。配達区域の中盤には緑葉を多数の樹木に茂らせた、代々幡斎場があった。敷地内の木造従業員宿舎も、毎日の配達先だった。西日を浴びつつの夕刊配達には、斎場の木陰は東京沙漠のオアシスに思えた。「暑いなか、ご苦労さま」宿舎のおカミさんは、ねぎらいの言葉とともに、甘い紅茶を振る舞ってくれた。「冷たいのがいいのは分かってるけど、汲み置きの生水はよくないから」給水車の水で仕立ててくれた紅茶は、おカミさんの優しさをたっぷり含んでいた。当時の読売新聞社会面には、毎日の小河内ダム貯水率が報じられていた。8月下旬に襲来した豪雨を、都民は慈雨だと大喜びした。大雨でダムは機能を取り戻し、給水制限も段階的に解除された。斎場のおカミさんは厳しい残暑のなか、水道が生き返ったあとも熱くて甘い紅茶を振る舞ってくれた。純白の器には、底まで透き通って見える紅茶がお似合いだった。                   *                   あの五輪から26年が過ぎた1990年10月10日の祝日。ロードタイプの自転車で、赤坂の崖下にあった喫茶店を訪れた。五輪開会式となった10月10日は、晴れの特異日。高い青空の下、都内をロードで走るのが、毎年この日の楽しみだった。「きっと食べたことがないトーストだから」カミさんに従い、崖下に自転車を停めて店に入った。木造の店内は明るさに乏しかった。が、棚に並んだ白磁のカップの美を、薄暗さが際立たせていた。トーストは家内に任せたが、飲み物は迷わず紅茶にした。白いカップを見るなり、 斎場のおカミさんにつながったからだ。耳もついた5枚切りトーストの真ん中には、海苔がかぶさっていた。海苔からはみ出した部分は、美味さ約束のキツネ色だ。スポット照明が、トーストを照らしてくれていた。添えられた紅茶は懐かしや、カップの底まで透き通って見えていた。バターが溶け込んだトーストには、醤油が散らされていた。これが味の決め手だった。バターの塩味と醤油とは競わず、互いに引き立て合っている。その旨味を吸い込んだ海苔と、トーストとを同時に頬張るのだ。呑み込んだあと、口中に留まっている至福感。極上の塩味を、砂糖を加えた紅茶の甘さが、さらなる高みへと持ち上げてくれた。あの日以来、 紅茶こそデカフェに変わったが、自宅の朝食は海苔トーストである。木造宿舎も崖下の喫茶店も失せた。が、紅茶と海苔トーストのおいしい記憶は健在だ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あの時の「おいしい記憶」と結びついた味は、一生の宝もの。笑顔や優しさを与えてくれる「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。 ■キッコーマン企業サイト ブランドページhttps://www.kikkoman.com/jp/memory/index.html ■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけますhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/oishiikioku/See omnystudio.com/listener for privacy information.

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