• 田舎坊主の七転八倒<それほど形を整えても>

  • 2024/07/04
  • 再生時間: 10 分
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田舎坊主の七転八倒<それほど形を整えても>

  • サマリー

  • 仏事は荘厳(しょうごん)が大切です。荘厳というのはお飾りのことです。仏壇のお祀りの仕方などはよく聞かれることですが、なかでも多いのは、荘厳について置き場所などです。 本来、仏壇にはご本尊が安置されますが、荘厳はこのご本尊のためのものでもあります。真言宗の仏壇は、どちらかといえば質素で控えめなものが多くあまり派手ではありません。 仏壇本体の材質は紫檀や黒檀などが中心で、ケヤキや桜など多種に及びます。最近では圧縮材や合成材なども使われることも多く値段もかなりの差があるようです。仏壇のなかには上部に須弥壇(しゅみだん)というご本尊の置き場所があります。 ここには真言宗のご本尊大日如来を中心にして、向かって右に弘法大師、向かって左に不動明王が置かれます。これはそれぞれのお姿を描いた掛け軸だけの場合もあります。 須弥壇の前には幡(ばん)という布で作った幡(はた)や瓔珞(ようらく)とよばれる飾り金具や電球入りの灯籠などが仏壇の天井からつり下げられます。須弥壇の足下には高杯(こうはい:たかつきのこと)が左右一対置かれ、果物やお菓子などが供えられます。 下の段にいくと、お仏飯やお茶湯を置く台と五具足(ごぐそく:ローソク立て一対、花立て一対、香炉一つ)や三具足(みつぐそく:ローソク立て、花立て、香炉)という荘厳が置かれます。そのほかにも過去帳台や経机、おりんなどがあります。通常は下の段にいくまでの中段あたりに、仏壇の大きさによって違いますが一段から二段を利用して、ご先祖のお位牌が置かれています。ただこれはあくまでも便宜上置かせてもらっているだけで、正式な置き場所というわけではありません。 余談ですが、私がいつもこの話をすると仏壇屋さんから「それだけは言わないでください。売れ行きが悪くなるんです」と、釘を刺されてしまいます。 ちなみにこの田舎寺の檀家さんのなかには、かつては茅葺きの旧家があり、そのお宅のなかには今でも昔ながらの祀り方をしている家があります。現在では屋根は瓦葺きに代わったものの座敷などはそのままで、今も上座敷には一段高い上段の間があります。その上段の間には備え付けの仏壇があり、そこにご本尊を安置しているのです。 ご先祖のお位牌はどこにあるかというとご本尊を正面にして、下の間の右側に小さな位牌置き場の段があります。この旧家には数十体のお位牌があり、このお位牌たちはご本尊に向かうように少し斜めに置かれています。 これはとりもなおさず、私たちが亡くなって仏になるとはいいながら、決して弘法大師やましてや大日如来や不動明王になるわけではないからです。ですから、ご本尊と同じ場所に祀られることはあまりにももったいなく、失礼であるという意味から下の間の別の場所に祀られ、そこからご本尊を拝めるようにつくられたのです。 このように、本来仏壇はご本尊だけをお祀りするものだったのです。もともと祀られる場所がない仏壇のなかの位牌の置き場所について、先祖代々の位牌や新仏の位牌の場所はどこがいいのか、よく聞かれ、正直、困りものです。ですから私は「あまり決まりはないので、適当なところに置かれたらいいですよ。まあ新しいご先祖でしたら正面において丁寧にお祀りになったらどうですか」と、話すことにしています。 しかし、どこで聞いてくるのか、「夫婦や古い位牌や先祖代々などみな場所が決まっていて順番があるって言われた」と言いだし、そのどこかの人に言われたことをきっちり守って置き直している方もいます。 たしかに仏事に関して「わるい」と言われれば、そのことはしないようにするのはよくわかります。しかし「どうわるいのか」の理由がないのです。あるとすれば「ばちが当たる」ということでしょうか。 でもご自分のご先祖がその置き場所のことで、果たして家を守っている子孫にばちを当てるでしょうか。それよりも、ご命日には心込めて新しい花や故人の好物だったものを供え、しずかに般若心経をお唱えし、感謝の気持ちで手を合わせることのほうが大切だと思うのですが・・・。 ...
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あらすじ・解説

仏事は荘厳(しょうごん)が大切です。荘厳というのはお飾りのことです。仏壇のお祀りの仕方などはよく聞かれることですが、なかでも多いのは、荘厳について置き場所などです。 本来、仏壇にはご本尊が安置されますが、荘厳はこのご本尊のためのものでもあります。真言宗の仏壇は、どちらかといえば質素で控えめなものが多くあまり派手ではありません。 仏壇本体の材質は紫檀や黒檀などが中心で、ケヤキや桜など多種に及びます。最近では圧縮材や合成材なども使われることも多く値段もかなりの差があるようです。仏壇のなかには上部に須弥壇(しゅみだん)というご本尊の置き場所があります。 ここには真言宗のご本尊大日如来を中心にして、向かって右に弘法大師、向かって左に不動明王が置かれます。これはそれぞれのお姿を描いた掛け軸だけの場合もあります。 須弥壇の前には幡(ばん)という布で作った幡(はた)や瓔珞(ようらく)とよばれる飾り金具や電球入りの灯籠などが仏壇の天井からつり下げられます。須弥壇の足下には高杯(こうはい:たかつきのこと)が左右一対置かれ、果物やお菓子などが供えられます。 下の段にいくと、お仏飯やお茶湯を置く台と五具足(ごぐそく:ローソク立て一対、花立て一対、香炉一つ)や三具足(みつぐそく:ローソク立て、花立て、香炉)という荘厳が置かれます。そのほかにも過去帳台や経机、おりんなどがあります。通常は下の段にいくまでの中段あたりに、仏壇の大きさによって違いますが一段から二段を利用して、ご先祖のお位牌が置かれています。ただこれはあくまでも便宜上置かせてもらっているだけで、正式な置き場所というわけではありません。 余談ですが、私がいつもこの話をすると仏壇屋さんから「それだけは言わないでください。売れ行きが悪くなるんです」と、釘を刺されてしまいます。 ちなみにこの田舎寺の檀家さんのなかには、かつては茅葺きの旧家があり、そのお宅のなかには今でも昔ながらの祀り方をしている家があります。現在では屋根は瓦葺きに代わったものの座敷などはそのままで、今も上座敷には一段高い上段の間があります。その上段の間には備え付けの仏壇があり、そこにご本尊を安置しているのです。 ご先祖のお位牌はどこにあるかというとご本尊を正面にして、下の間の右側に小さな位牌置き場の段があります。この旧家には数十体のお位牌があり、このお位牌たちはご本尊に向かうように少し斜めに置かれています。 これはとりもなおさず、私たちが亡くなって仏になるとはいいながら、決して弘法大師やましてや大日如来や不動明王になるわけではないからです。ですから、ご本尊と同じ場所に祀られることはあまりにももったいなく、失礼であるという意味から下の間の別の場所に祀られ、そこからご本尊を拝めるようにつくられたのです。 このように、本来仏壇はご本尊だけをお祀りするものだったのです。もともと祀られる場所がない仏壇のなかの位牌の置き場所について、先祖代々の位牌や新仏の位牌の場所はどこがいいのか、よく聞かれ、正直、困りものです。ですから私は「あまり決まりはないので、適当なところに置かれたらいいですよ。まあ新しいご先祖でしたら正面において丁寧にお祀りになったらどうですか」と、話すことにしています。 しかし、どこで聞いてくるのか、「夫婦や古い位牌や先祖代々などみな場所が決まっていて順番があるって言われた」と言いだし、そのどこかの人に言われたことをきっちり守って置き直している方もいます。 たしかに仏事に関して「わるい」と言われれば、そのことはしないようにするのはよくわかります。しかし「どうわるいのか」の理由がないのです。あるとすれば「ばちが当たる」ということでしょうか。 でもご自分のご先祖がその置き場所のことで、果たして家を守っている子孫にばちを当てるでしょうか。それよりも、ご命日には心込めて新しい花や故人の好物だったものを供え、しずかに般若心経をお唱えし、感謝の気持ちで手を合わせることのほうが大切だと思うのですが・・・。 ...

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