
「筋の良い努力」と「筋の悪い努力」の違いはなんですか
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このコンテンツについて
為末大学は、「Playing Humanity 人間らしさを探究する」をテーマにしたメディアです。知識の探求と経験の共有を通じて、皆さんと一緒に楽しみながら好奇心を持って探究していきます。「筋の良い努力」と「筋の悪い努力」というものはあるのでしょうか? 以前に、ある動画で著名な方が「仕事ができる人は筋の良い努力をしている」とお話しされていました。これを聞いて以降、「筋の良い努力」とは一体何なのか強い疑問をもっています。私なりに「成果に直接つながる努力」を「筋の良い努力」、「成果につながらない努力」を「筋の悪い努力」と呼ぶのかなと思い至りましたが、「それって結果論じゃない?」と納得できていません。また、もし結果につながると初めからわかっている努力を「筋の良い努力」と呼ぶならば、それは守破離の「守」であり、単なる「型」なのではないかと思い、「仕事ができる人=型ができる人」は違うのではないかと、これまた納得できません。 野球のイチロー選手は「無駄なことをしないと合理的になれない」と話されており、自分の経験からも「振り返ると成果にはつながらなかった努力」を試したからこそ、有益で効果的な努力の方法が見えるようになったと感じます。為末さんの著書:熟達論でいう「遊」と「観」をぐるぐる回して自分なりの「型」を作って守破離の「破」の段階に進んだ人が「仕事ができる人」なのではないかと今は考えています。 「筋の良い努力」と「筋の悪い努力」というものについて為末さんのお考えを聞かせていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。Q&Aでは、皆さんからの質問にお答えしていきます。コメントや質問は、Youtubeのコメント欄にお寄せください。https://youtu.be/I-wdonQFDXg