
「十のことば」と神の国(申命記4章5節~13節)
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序)律法は、神の国を生み出すことばである
・律法は、堕落した世界にもう一度、神の国を生み出すための「ことば」としてモーセを通して与えられ、イエス様によって体現され、完成した(マタイ 5:17)ものであり、その中核に「十のことば」がある。
1)「十誡」か「十のことば」か
・文語訳聖書から十誡という訳語が用いられ、口語訳、共同訳に引き継がれているが、仏教用語を借用した可能性が高い。
・仏教の十戒は、出家した人がこれを守ることで悟りを開き、よりよい来世に至るためのもの。聖書の十誡がと同じ機能をもつと考えてしまうと「行いによる救い」になるし、そこでいう「救い」も来世的になる。
・聖書の関心は、来世ではなく現世にある。「いのちに入る」=「神の国に入る」という福音書の表現は、申命記 4:1 に出処がある。約束の地で律法を実行して、幸せになることを「いのちに入る」と言っている。
・「十(エセル)」には「共同体を形づくる」という語義があり、それが「十のことば」の所以。戒めの数がぴったり 10 かどうかも関係ない。
2)新約時代の律法の学び方
・「十のことば」を根本原則として旧約聖書には多くの「掟と定め(ルールと制度)」がある。これは当時のイスラエルが約束の地で実行することが前提になっている。新約では、約束の地が全世界に広がっている。
・マタイの福音書 28 章 18~20 節は、申命記を普遍的に言い直している。
・特定の時代と文化の中で生まれた律法を、別の時代と文化で実行するには本質と目的を理解して、ルールや制度に隠された知恵を見出し実行する必要がある。本質は愛(ガラテヤ 5:14)で、目的は自由(ヤコブ 1:25)
・旧約においては、贖いの血は動物だったので効力が弱く、イスラエル限定であり、儀式を繰り返す必要があった。しかしイエス様の血は効力が最大であるので全世界に神の国は広がり、儀式はもはや不要になった。
3)私たちは律法を行うことができるのか
・5 節の「見なさい」は、神に逆らう古い世代は滅び、神様が新しい世代を起こし、彼らが約束の地に入るという事実。律法の前に、滅ぶべきものは滅び、そこに新しいいのちが始まる。
・これが私たちの内側で起こる変化の比喩である。生まれながらの努力では律法は行えないが、キリストと共に生きることにより行える。
結)「律法を守る」とは
・「守る(シャマール)」は観察し、見張り、見守るという意味である。
・御言葉を理解し、自分の心を見張り、新しい思いを見守り育てるなら、私たちは「十のことば」を体現し、神の国を創造することばとなる。